お料理が好き=食べる事が好き
食と私

{第二章}



ロース肉のカツ、ハムカツ、ハンバーグ、白身魚の煮付け、中華サラダ、煮物、炒め物・・・
数えだすときりがないが、



当時、母のつくる料理の中で一番好きだったのが、
ハンバーグだった。


母のつくるハンバーグはどんなレストランにも負けない逸品だ。
よくタネを練って空気を抜いてふっくらとした仕上がりの母のハンバーグ。
ソースは肉汁とケチャップと中農ソースでつくるソースだが、
ハンバーグ共々完璧においしいのだ。
母がハンバーグをつくるときには隣にいて、
母が、どうやって、どんな手順でつくっていくのか見ている。
実際に教えてもらった当時の事は覚えていないが、
今私のつくるハンバーグは母伝来のあのハンバーグ。

だがつくりかたは同じはずなのに、
どこかが違う。

どこがどう違うのか考える前に私はわかっているのだから。


母がつくる料理には勝てない。追いつけない。
料理の腕前を磨いても、私は独自の腕を磨くのみ。

それだけ「母」という存在がつくるおいしい料理には太刀打ちできないのだ。



今習得した基本的な料理の基礎は全て母から教えてもらった。
全て自分の納得いくおいしい出来に仕上げられる料理になったが、
やはり母の料理とは違う。格別だ。
そう母がつくる料理は特別なのだ。

母がつくる料理。
それは常に完璧。



また母のつくる煮物は最高に素晴らしい。
味、見た目、全ての料理にて必要不可欠な要素が全て揃っている。

もはや芸術と言っていい。

絶対言いすぎではないと思っている。

親戚の集まりの時には、親戚の人数分の料理を毎年数回つくる母。
前日の仕込みから当日の調理、盛り付けまで一人で取り仕切る。

その姿をこれまで私は何回も見てきた。
ある程度大人になった頃から、盛り付けを手伝うようになり、
今では、サラダ、揚げ物、盛り付けは私の仕事になったわけだが、
いつも見ていて思うわけだ。

私が思うに、

野菜の切り方、仕込み、味付け、それらが一番奥が深く、
難しいのは和食だ。



同時に全てが完璧ならばそれは味覚、視覚の芸術になる。


母はそれが出来る人。
尊敬すべき人である。