我が道を往く


1946年 米
監督:リオ・マッケリー
出演・ビング・クロスビー
リーゼ・スティーヴンス

彼の自然体の言動の中には、常に何気ない、飾りっけのない優しさがあり、
マイペースに彼自身の道を切り開き、彼らしく歩むという、タイトル通りの意思があるのだ。

GOING MY WAY
我が道を往く。
彼は我が道を往き、優しさと思いやりで、友情を育んだ。
とても心に温かい。


ビング・クロスビー演じるチャック・オマリー牧師は、
フィッツキボン神父の元へと副牧師としてやってきた。
音楽とスポーツが好きなオマリー牧師は、若く、柔軟な頭の持ち主で、
周りを和ませる雰囲気を持ち合わせた青年。
その柔軟さと気さくな雰囲気から、キボン神父は、自分の目指す厳粛で由緒重視のものとは違うと感じ、
多少の煙たさを見せる。

赴任後、近所の少年たちを集め、聖歌隊をつくり歌とコーラスを教え込んだり、
家出少女の言い分を聞き、歌手を志す彼女に歌の指導をするなど、市民に身近に、正直な心で接することにより、
彼は、彼らにとってとても掛け替えのない人物となっていく。

キレイごとのない、心の正直さ、媚びることのない、飾らない実直な姿が非常に印象的なのだ。

形式に捕らわれない自由な発想や、希望溢れるその姿勢は、次第にキボン神父の心に響いていく。
キボン神父は、オマリー牧師と接し、話し、共に行動することにより、オマリー牧師の事を少しづつ理解し、
その存在の重要さ、必要さを思い知るようになる。

世代のせいで、異なる考え方、感じ方、だが根本は同じなのだ。
異なるのは方法だけ。心は同じ。
キボン神父の言葉は実に印象深い。

世代を超えた友情と信頼がここにある。


二人の心が通じた矢先、オマリー牧師は、転任を命令される。
つまりは、キボン神父の教会を後にしなければならなくなったのだ。

キボン神父、教会に通う人々、近所住民、人と人との出会いの温かさと優しさを感じることがお互いできたのに、
オマリー牧師との別れ。

オマリー牧師はキボン神父に、最高のギフトを用意し、静かに町を出て行く。
だが、別れの名の下の寂しさは存在するものの、彼の目には希望の光は絶えず輝いているように感じた。

人との出会い、それによって、変化する人の心、
常に心から人に接する事で見えてくる本当の心、信頼の心、
とても深く観るる者の心に響くものがある。


またこの作品の中に流れる素敵な歌の数々が更に作品を印象付けるものとなる。
家出少女キャロルと共に歌う、THE DAY AFTER FOREVER、
親しいオペラ歌手リンデンが魅せるカルメンのハバネラ
聖歌隊を率いながらオマリー牧師が歌うGOING MY WAY、
心躍り、心優しく、心に響く。

冬のある日、この町に吹き込んだ、新しい風は、心地よく鮮烈で、何よりも温かい新風だった。
新しい出会いの戸惑い、葛藤、後に来る互いの理解と、心通じる思いやり。
何とも心が灯る素敵な作品だった。




我が家の楽園

1938年 米
監督:フランク・キャプラ
出演:ライオネル・バリモア
ジーン・アーサー

ライオネル・バリモア演じるバンダーホフは、
工場拡張のため、家の買収を持ちかけられるが断固として受け入れず。
訪れた事務所の受付で速記をする男の、ものつくりの才能に感心し、自分の家に来ないかと提案する。

家の中がきしむたびに落っこちてしまうバンダーホフ家の「home sweet home」のアルミプレート。
これこそが、我が家の楽園、楽園のようなバンダーホフ一家の象徴であった。

数年前に間違って配達されたタイプライターを手にした時から戯曲つくりに励む母(バンダーホフの娘)
地下で花火つくりに明け暮れる父、
レスリング経験者のバレエの師コレンコフにバレエを習い、
そこら中でそのヘンテコバレエを披露する娘エシー(バンダーホフの孫娘)、
唯一まともだが、奇声を上げて階段の手すりを滑り降りるのを習慣としている娘アリス(バンダーホフの孫娘)、

バンダーホフ一家は、好きなことをしながら自由気ままに生きている。
それは、バンダーホフが会社を辞めたことから始まった。
ある日、バンダーホフは、会社のエレベーターで、これまでの会社勤めの生活に疑問を感じ、そのまま降りて帰宅した。

今を生きることを大切に、愉快に生きることに生きがいを感じるバンダーホフは非常に魅力的な人物である。

だが、そのバンダーホフ一家に一大事が起こる。
娘アリスが、銀行家カービー一家の息子トニーと結婚するというのだ。
銀行家カービーとはまさに、バンダーホフの家を買収し工場拡張に加担する人物であった。

一家は顔合わせをすることになった。
不満顔を浮かべたカービーに、ピリピリとした表情が張り付いたままの妻、なんだかどことなく頼りなげな息子トニー。
カービー一家はよりによってバンダーホフ家で開催される顔合わせのための食事会の前日にバンダーホフ家に現れた。
彼らが現れたとき、バンダーホフ家は、ちょうど、翌日の食事会に向けての準備真っ最中だった。
今は戯曲つくりに励むも、絵描きとして活躍していた母は以前の描きかけの絵の手直し。
ユニフォームを着たモデル。
バレエ服を身にまといバレエを繰り広げるエシー。
そしていつもの如く奇声を上げながらアリスが階下に。

驚きを隠せないカービー家に、あたふたするバンダーホフ家。
でもバンダーホフだけは、余裕の表情を浮かべていた。
実は、ありのままの姿の家族に会いたいというトニーが仕掛けたのだった。

即席食事会がスタートしようとしていたとき、バンダーホフ家の父のつくった花火のせいで警官が出動。
一家はもちろん居合わせたカービー家も連行されることに。

連行先は鉄格子の留置所。
個性豊かな面々が連ねる。
その中にバンダーホフ家とカービー家。
事実上シリアスなはずなのになんとも滑稽な絵である。

日常茶飯事ではありえないlこの事態の中でもバンダーホフはやはり余裕の表情なのだ。
その表情の中には、何事にも焦らない、冷静、なるようになるさという楽観的思考が伺え、実に爽快である。

事態はそのまま裁判へと持ち込まれるが、陪審や聴衆、さらには裁判官でさえ、
バンダーホフの人柄に惹かれる人物で、判決は罰金のみ。
その罰金も聴衆の善意の寄付であっという間に集まった。

バンダーホフという人物の生き方、人への接し方、楽観的思考、ポジティブな姿がたくさんの人たちへ影響を与えた。
善意の人間、という意味ではない。
冷静で明るく常に前向きでも自分の感情には正直であり、
あるときはカービーに怒声を上げて口論を持ちかけたことある。
自分の信念を絶対に曲げない姿勢、
孫娘の幸せのためにその信念をさらっと心の奥へ押しやり、犠牲を払うことを厭わない真の愛情。
彼の持つ人間性は実に魅力に溢れていて素晴らしい。

孫娘のために妻の思い出の詰まった大切な家を手放す決心をするも、
決して悲しみに暮れる表情は浮かべずに、
新しい出発の希望に思い出を乗せるように穏やかな表情を浮かべる。

だが結局は、バンダーホフのその人柄が人々の気持ちを引き寄せるのだ。
あのお固く、気難しいカービーの心をも動かした。
家の買収を白紙に戻したのはカービー本人だったのだ。

カービーは家買収の件で強行で不合理な手段を使ったとして長年の仕事仲間に、
自身の非情な様を攻め立てられるシーンがある。
彼はカービーを攻め立てた後、心臓発作で帰らなくなる。
カービーは彼に言われたことに対し、何も反論することができなかった。
それは、自分でも自分の非情さを感じていたからであろう。
このシーン、彼がカービーに言った言葉たちが非常に印象に残る。

バンダーホフの人柄、それを慕う人々、自由に思うままに生きる姿勢を目の当たりにして、
カービーは今までの自分を見つめた。

荷物が運ばれ、椅子のみが残ったバンダーホフの我が家の楽園は非常に殺風景だ。
そこにカービーが来て、バンダーホフも快く迎える。
バンダーホフは、ハーモニカを吹き始め、カービーにも一緒に吹こうと進める。
実は懐に常に忍ばせていたハーモニカは以前バンダーホフからもらったものだった。
カービーはハーモニカを取り出し、共に吹き始めた。
それに合わせみんながダンスする。
トニーとの結婚をあきらめた家を出て行ったアリスも家へ戻ってきて、二人は再会し、その愛を確信する。
殺風景だった家は軽快な音楽と人々の笑い声で明るく色染まる。
実に前向きで素晴らしく、最高なラストについ顔に笑みがこぼれる。

明るさと自由。
これこそが人生に必要なもので、前向きで楽観的な考えが人生に最高のエッセンスを加える。
誰しもが持つことができる明るさは人を寄せ付け、周りを和ませる。
簡単なようで難しい思想、でも持ち続けることで大切なものが素晴らしく輝かせる。



















私は15歳

2002年 イラン
監督:ラスール・サドレアメリ
出演:タラネ・アリデュステ
    ホセイン・マジューブ

その映像美や人物描写などの芸術的評価の高いイラン映画。
『私は15歳』は、私が今まで観てきたイラン映画の中では、
少し違った感じが受け取られた。
評価が高いのは他のイラン映画とは変わらないが。

この作品は、若くして結婚(イランでは仮結婚という形になるが)した少女が、
若さゆえの結婚が破綻に至り、その後妊娠が発覚し、一人での出産に臨み、一人の女性として、
一人の人間としての意思を貫く物語である。

学校に通いながら仕事にも努め、服役中の父を励ましながら日々の生活を送るタラネは、
仕事先で出会った青年と結婚。
だが若い二人の結婚は決して上手くは行かなかった。
仮結婚を取りやめ、離婚したタラネはその後に妊娠している事がわかる。

彼女は一人で子供を出産し、一人で育てる事を決意。
周囲の反対にも負けず、自分の意思を貫く。

2002年ロカルノ国際映画祭 審査員特別賞 主演女優賞したこの作品は、
受賞したのも大いに納得できるような、
主演女優タラネ・アリデュステの素晴らしい演技が、非常に印象的である。
彼女の話し方、特に表情の演技が素晴らしい。

それは等身大の少女としての初々しい、可愛らしい表情や、
女友達と楽しそうにおしゃべりする仕草、
また元夫の母に対する意思の伝達に懸命に努力する力強い姿勢、
また、強くある事に努力していても時々感じる寂しさや不安の表情の移り変わりが非常に心に響く。


物言わぬ寂しげな表情は観ているこちらまで切なくなってしまう。
15歳の幼い少女、でも彼女は同時に母である。
身重の体を抱えつつも、服役中の父を心配させるまいと元気に振舞う姿には、
母という強さを感じる。
まだ幼い少女でありながら、母親の包容力をも感じさせる。
タラネの実に才能溢れた表現力には圧倒される。

またタラネのまわりの出演陣たちも、その個性が浮き彫りにされた人物描写が印象的だった。
タラネに、同じく出産を体験した友達の話をする少しぶっきらぼうだが人間味溢れる少女や、
幼なじみとでもいうのだろうか、
仲良くしている彼女の一番近いであろう少女のいかにも少女らしい優しい印象。
そしてタラネと心で話をするように映る彼女の父親の、
スクリーンからにじみ出るような優しさ、心から子を想う話し方。
それらが実に印象深い。
そして何回も述べるように、何よりもタラネの母として、女性として、そして人間としての
自分の貫くべき道を歩んでいこうとする、その力強い、
美しくも見えるその姿勢が実に素晴らしいのだ。






once ダブリンの街角で

2006年 アイルランド
監督:ジョン・カー二ー
出演:グレン・ハンサード
マルケタ・イルグロヴァ

彼の歌声は、ささやく様に優しく、
時に心情が痛いほど伝わるほどに強く心に響く。
紡ぎだされるメロディは、どれも痛切なのだ。


大げさな見解ではなく、
彼の音楽、彼の歌声に、深く感銘を受けた。
想いが込み上げ、心が締め付けられ、涙があふれるのだ。
これほどの感動は実に久しかった。

その歌声の持ち主こそが、この作品の主人公である。
こよなく歌を愛し、愛する人への心を繊細に、かつ切実に歌詞に託し、
穴の開いたギターを今宵もメロウにかき鳴らす。
日中は誰でも知っているようなポピュラーな曲を歌い、
夜になると自分自身のオリジナルの曲を。
父を継ぎ掃除機修理工として働く彼はシンガー・ソングライター。

演じるはグレン・ハンサード。
アイルランド・ダブリン生まれの彼は、
アイリッシュ・ロック・グループ「ザ・フレイムス」の創立メンバーであり、
リードヴォーカル兼ギターを担当している。

彼の声は非常に心に響く。
力強さの中にある繊細さはまず類を見ない。
そして何より魅力なのが、彼の書く歌詞の世界だろう。

そして、ある日、グレン・ハンサード演じる「GUY」の音楽に惹かれて
彼の才能を見出し、ともに音楽を作っていく「GIRL」を演じるのは、
チェコはプラハの新鋭シンガーソングライターの、マルケタ・イルグロヴァ。
訳あって遠く離れたチェコからダブリンにやってきた。
大好きなピアノを弾くために、楽器へ通う若く朗らかな女性なのだ。

穴の開いたギターの入ったギターケースを担ぐGUY、彼に掃除機を直してもらおうと、
自宅から持参した掃除機を引きずりながら歩くGIRL。
二人の後姿が実に印象深い。

彼の音楽に強く惹かれた彼女は、楽器店にて彼の曲をともに歌ったことをきっかけに、
一緒に音楽を作っていくことになる。

彼のつくったメロディに優しくコーラスを乗せたり、彼の音楽に歌詞をつけたり、
彼の生み出す音楽に、彼女のやわらかく、控えめでも主張のある美しい歌声がそっと彩を加える。

彼のギター、彼女のピアノ、重なる二人の歌声が、
せつなさ漂う美しい情景をいざない、そして深く、痛切な心情を伝える。
このシーンは非常に感動的で印象深い。

彼は彼の詞の中に、届くことを願う切ない彼の想いを乗せ、
彼女もまたどうしようもない悲しさと憤りを彼女自身の詞の中に携える。

音楽というもの中には、詞というもの中には、
自分の想いを素直に映し出し、かつ素直に表現し、
伝えることができる独自の世界を展開できる。

それを紡ぎだす人も想いを語り、聴く人も想いを受け取る。
自分自身に重ねて、その想いを受け取り、感情をその歌の中に映し出す。
実に感動的で哲学的な美の世界とも言える。

そうなのだ。
この作品の主演二人は現役のミュージシャンなのだ。
この作品で流れる曲もすべて、
グレン・ハンサードとマルケタ・イルグロヴァが書き下ろした正真正銘の本物なのだ。
伝わるものが多く、それが実に深いのには、そういう事実があるのだ。

監督のジョン・カー二ーもまた、
グレン・ハンサードが結成した「ザ・フレイムス」で、
ベースギターを担当した経験のあるミュージシャンなのだ。

ミュージシャンによってつくられたこの音楽映画は、
まるでドキュメンタリーのように現実感豊かで、
またドラマティックに、主演二人のそれぞれの思いが交錯する。


彼女は彼の作り出すメロディに惹かれ、彼の才能を後押しした。
彼とともに音楽を作る喜び。

彼は彼女によって進むべき道を確信した。
その道は希望に満ちていた。

かけがえのないただ一度だけの出会いは、
かけがえのない希望を互いに見つけるべく訪れた。
すべてが輝きだす瞬間がここにある。


最高に感銘を受けた素晴らしい作品だ。