ラスト・サムライ

2003年 米
監督:エドワード・ズウィック
出演:トム・クルーズ
    渡辺 謙


約3年振りに劇場へ足を運び、鑑賞した作品だ。
最近はもっぱらビデオ鑑賞ばかりで、実に劇場から遠ざかっている生活を送っていた。
だが、この作品は、一つの情報に、なんとも好奇心をそそられる、内容が詰まっていた。
第一にハリウッドがつくるサムライ映画。
製作にトム・クルーズ。
日本の俳優陣には、渡辺謙、真田広之、小雪など。
しかも侍の最後を描いている作品なんだから。

例は挙げないが、いくつかの日本を取り入れた外国でつくる作品には、
全てではないが、その文化や表現が必ずしも忠実ではなかった。
それは、まるっきり情報不足からくるような描き方もあれば、
日本という国を、何十年も何百年も前の形に留まって描写している作品もある。
まあ、それはそれでユーモアを誘っているのかも知れないが。

外国から見る日本とは、今のこの時代にも、
お侍さん、着物に、日本刀に・・・のイメージは強く、
憧れの眼差しさえ向けられる。
それは大いに、日本人である自分にとっては、
うれしいというか、誇らしいものである。
全ての、と言っては過言だが、
そのイメージと憧れにいい印象を受ける人はきっと多い。

一言で言えばこの作品の表現は非常に美しかった。
何が、というと、映像。
人物描写。
何より、日本という国が忠実に描かれている。
実に、こんなに忠実で、これは日本映画なのでは、
と思わせてくれた作品は初めてだった。


だからといって、日本の歴史は私のような一個人が容易く語れる程、単純なものではないし、
日本人だからといって、日本の歴史を全部把握している人が全てとは限らない。

主に、勉強する、中学や、高校でも、学校という学びの小屋で、
先生に教わった事は全て覚えているとは限らない。

その時期はきちんと身に付くのだが、数年経てば、忘れてしまう。
特に歴史に格別たる興味を持っている人は別だが。

限られた授業の時間に日本の歴史の知識をふんだんに詰め込み、
義務感で頭に入れているのだから。
というのは一般に日本人の事を語ってるのではなく、
私自身のケースである。

だが大人になった今、こういう形で歴史に触れてみると、
学生の時には薄かった歴史への興味が沸いてくるのだから不思議だ。

これはひとえに、この作品の策略にはまってしまったという事だ。

歴史に興味を遠のいていた私にも解る、解りやすい描写。
だがそれだけでなく忠実。


そして極めつけは、自分が日本人である事を誇りに思ってしまう。
劇中や、クライマックスで涙してしまう。
エンドロールが終わってもその場を立てなくなる。

こんな自分と同じ状況になってしまった人は、
きっと数え切れないだろう。







ラッキーナンバー7

2007年 米
監督:ポール・マクギガン
出演:ジョシュ・ハートネット
ブルース・ウイリス

見事にこの作品の策略にはまってしまったと言えよう。
テンポのよいストーリー展開でフューチャーされるのは、
ジョシュ・ハートネット演じる不運な男スレヴン。

次々に登場する柄の悪い連中に取り囲まれ、甚だしい人違いの事実の訴えも通用しない。
要求される絶望的な条件に流されつつ、一体彼はどうするつもりなのか。
そのただ一つの思いとどうなる、どうなるとの期待と不安とに襲われる前半。

その中豪華な登場人物に魅せられ、
特にルーシー・リューのキャラクター、
これから彼女はこの事件にどう関わっていくのかという思いにまたもや取り付かれる。

結末は。
これはネタバレしない方が良さそうだ。
この展開に誰もが驚かされるだろう。


ジョシュ・ハートネットは爽やかな好青年の雰囲気を漂わせながら、
特異の個性も発揮しているように思える俳優だと思う。
この作品の中のキャラクターもそんなジョシュの魅力が感じられる。

そしてルーシー・リュー。
この作品でのルーシー・リューは非常に若々しくて綺麗で可愛らしさも感じられる。
典型的なクールビューティーの彼女が自然と恋に落ちる過程がこの作品に合わないのか、
あるいは逆に合っているのかとてもポップに映る。
ジョシュとの年の差が10あるようには見えないような可愛らしさは作品の随所に見られる。
彼女の方が年下のように思えることも。

ブルース・ウイリスもこの作品のなかでかなりの存在感を貫禄たっぷりに見せ付ける。
静かな演技が不気味だが、人間味を表現している箇所も見られる。
言うまでもなくこの作品で非常に重要な役柄なのだ。

音楽の効果と映像のクールさが際立つスタイリッシュなサスペンスという表現が合うのではないか。
この作品、大いにその策略にはまるべきである。






ラヴ・アクチュアリー

2003年 英
監督:リチャード・カーティス
出演:ヒュー・グラント
    リーアム・ニーソン

Love actually is all around  この世は愛に溢れている。
憎しみよりも、妬みよりも、あらゆる感情の中で、
強い想いが愛。


この作品はホントにステキなラヴストーリー。
それは日常の、ほんの些細な事から生まれたり、
長年培った揺ぎ無い愛だったり、その形はさまざま。
ロマンティックな出来事はいつ起こるかわからない。

いろんな愛の形を展開しているこの作品は、
演じる全ての出演陣が主人公。

さてここで登場人物を整理してみると、
まず、英国首相と秘書
作家とメイド、
ある花嫁と花婿、そして花婿の友達、
妻に先立たれた夫とその義理の息子、
落ちぶれたロックスターとマネージャー 、
出版社の社長とその妻、
その出版社に勤める女性とデザイナー、
アメリカでの自由な生活を夢見るさえない若者とその友達、
代役女優と代役男優、

これらの19人の登場人物がそれぞれの愛の形を見つけていく。
思わず微笑んでしまったり、声に出して笑ってしまったり、
あるいは切なくったり、涙も誘う展開もある。

ストーリーの展開にマッチした心地いい英発のサウンドトラックも、
ストーリーを一段と心を打つものとしている。


実に何通りものラヴストーリーが作品中に展開しているにも関わらず、
テンポがよく、場面展開が解りやすいと思った。


これまたカメオ出演寄りのローワン・アトキンソンが、実に、
ストーリーの中で重要な役柄を演じているのも見所。

この世には様々な愛があふれていて、
その愛に気付く時、何かが変わる。
そして動き出す。
愛の力で思いも寄らぬパワーが生まれたり、
今まで以上に人に優しくなれる。
そんな心あたたまるステキなラヴストーリー。 







ラン・ローラ・ラン

1998年 独
監督:トム・ティクヴァ
出演:フランカ・ポテンテ
        モーリッツ・ブライブトロイ


タイムリミットは20分、
ある日、ローラの家に一本の電話が。
恋人のマニは切羽詰った様子で何やらローラに懇願。
そう、マニは運び屋で、ふとしたことから金を置き忘れ、混乱の様子。
12時までに10万マルクを用意出来なければ彼の命が危ないという事。
12時まではたったの20分。
愛する恋人のためにローラは走る。
ひたすら走る。
疾走。

シンプルでクールな、今までになかったタイプの新鮮さが味わえた。
そしてこの単純なようで斬新なテーマ。

果たしてローラはマニの命を救う事が出来るのか。
10万マルクを用意する事が出来るのか。

数回にわたって、はじまりを同じくして異なる場面展開を繰り返す描写。
アニメーションを取り入れた軽快感。
繰り返しを中心としながらもスピード感があって、
どんどんどんどん作品の中に引き込まれてしまう。

この作品の、シンプルながらに深い表現の仕方が、
何とも言いようがないくらいに作品自体に引き込んでしまう力を発している。
スピード感に溢れた軽快な展開に、
観ていて夢中になるとはこういうことなのかと、
実感してしまうくらいだった。


そしてローラを演じたフランカ・ポテンテの、
その表情をほとんど変えない心情の表れも、
この作品に引き込む最大のポイントにもなっている。





リトル・ミス・サンシャイン

2006年 米
監督:ジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファレス
出演:グレッグ・キニア
トニ・コレット


眼鏡の可愛い女の子が実に印象的で、バスに乗り移動する家族がまた、
何とも言えぬ味わい深さを醸し出す。

この物語の中心的人物となるのは、前述の女の子、オリーヴだ。
オリーヴは明るくて少女らしい元気で活発な女の子。
彼女の家族。
優しいママ、
頼りがいの在るパパ、
粋なおじいちゃん、
寡黙なお兄ちゃん、
そして精神的にダメージを受けてしまったおじさん。

彼ら家族はマイクロバスに乗って旅にでる。
目的は。
子供のミスコン、
「リトル・ミス・サンシャイン」の出場権を獲得したオリーヴを会場に送り応援するためだ。

ある理由で家族全員での会場行きになったのだ。

先ほど彼女の家族を軽く紹介したが、
その一言紹介におさまることのないくらい彼女の家族は個性的なのだ。
そこで再び。

オリーヴの母をトニ・コレット。
知的なイメージが強いトニ・コレットは、
この作品では「優しいママ」のイメージそのままを印象つけている。
子に対する母の理想の姿そのままのようだ。
たまに理想主義の夫に、破廉恥な祖父に、無関心に見える息子に声を荒らげるが、
それはそれで、彼女の本質は理想的な優しいママなのである。

オリーヴの父にグレッグ・キニア。
理想論、哲学、向上主義丸出しの難い父だが、何かが抜けている。
だが自分が掲げた目標、自分の在りかたを曲げることなく、
ネヴァーギブアップの精神を重んじている。
そう、何かがちょっと抜けていることでこの「父」らしさが光るのだ。
頼れる父であることには間違いない。

そしてオリーヴの祖父。
その年齢に似合わずロック・スターのようなファッションが妙に似合っていて、
彼から発せられる暴言スラングは注意するとか非難されるとかという、
マイナス要素をとうに通り越してしまっている。
しかもドラッグにまで。
だが粋に見えるのだ。
オリーヴに対しての愛情も深く、そのためオリーヴからとても慕われている。
彼もまた頼れる祖父であり、
自分の息子(オリーヴの父)に対しても、
父らしく偉大にそして包容力豊かに見守る。

オリーヴの兄。
中盤まで無言なのは彼が航空学校での目標を前に無言の誓いをしたことが原因だ。
やる気の無い脱力感に覆われた兄は虚無的な哲学に則りそれが板についている。
何も考えてないように見える彼にも家族を大事にする姿勢がだんだんと見られてくる。
それは頼もしくも見えるのだ。

そしてオリーブの伯父。
ゲイである彼は、ある理由から入院先の病院で自殺未遂をはかる。
幸い大事には至らなかったが彼の精神状態はかなり悪く、退院してオリーヴ家に住むことになる。
彼はオリーヴの兄と一緒の部屋で過ごす事になるが、
無言の誓いで筆談が主になっているドウェーンと少しづつ打ち解けていく。
何か共通したところが見られると思われるのは、
二人ともそれぞれの哲学の元に生きているということなのかもしれない。

このような個性豊かな家族はオリーヴのために旅に出る。
いよいよ会場に到着を控えた前日の晩、
祖父はオリーヴに語る。
それはぶっきらぼうでも心に響くものであり、オリーヴの心にちゃんと深く届くのだ。
祖父の言葉からオリーヴは自信を取り戻す。
だが、翌朝、祖父は帰らぬ人に。
悲しみに暮れる家族は、今回の旅の目的を見送りにすることにしようとしていた。
だが父は旅を続行することを明言。
祖父の遺体をめぐり、病院側ともめるのだが、孫の晴れ舞台を祖父にも見せてあげたいと、
家族は驚くべき行動に出る。
祖父の遺体をトランクに乗せていざ会場へ。
驚くべき行動。
それはそうなのだが、温かみを感じてしまうのは何故だろう。
それは家族が家族を思い、共に目標を目指そう、という思いか。
きっと祖父も一緒に行く事を望んでいた。
そう思うとこれが一番ふさわしい行動だったのではないかと思った。

順調に見えたその矢先にもトラブル続出。
クラクションの故障の職務質問、
車中で判明した航空学校を目指す兄には致命的な要因の色弱、
取り乱し、無言の誓いも投げ出し車から飛び出して絶望のため絶叫する兄。
途方に暮れる家族。
だがオリーヴは無言で兄に寄り添う。
兄も自分を見失って取り乱したと反省し車に戻り、いざ会場へ急ぐ。
だが会場を目の前にしてもなかなか進路に差し掛かれず右往左往を繰り返す。
やっとついた会場。だが出場者受付はすでに締め切り。
あきらめない父と母はどうにかと懇願するも心無い主催者の断固としての拒否。
だがそこで関係者の男性が登録受付をしてくれる事になって一安心。

ついにリトル・ミス・サンシャインが始まった。
出場する少女達は大人顔負けのメイクとファッションに身を包み、仕草も身のこなしも全て大人並。
アメリカにはこういったコンテストがあるとは知っていたが、私としてはかなり引いてしまう。
少女のミスコンなのに大人のふりをした少女が美を競う。
そこには少女らしさ、子供らしさは微塵も感じられず、ただただ呆気に取られる。
だがこれこそが子供のミスコンの見せ所なのかなあとも悲しくもしぶしぶ思ってしまう。
陶器のお人形さんのような少女達の中で、
飾らない、だけど自分にあったファッションとメイクのオリーヴは一際目立つ。
家族も皆不安の色を隠せない。
だがオリーヴはその素直さと前向きさで挑む。
そして特技審査。
オリーヴはダンスを披露することになっている。
この日のために祖父に音楽を選んでもらい、祖父に振り付けをしてもらって一生懸命練習してきた。
オリーヴはダンス披露の前に祖父に感謝の言葉を捧げた。

そしていよいよダンス披露。
一生懸命ダンスに取り組むオリーヴ、だが家族を含め会場は騒然。
なんとオリーヴが始めたダンスはストリップダンスを思わせるダンスだったのだ。
騒然とする会場、そうは微塵もわからずに一生懸命ダンスを披露するオリーヴ。
会場を後にする人達、ついにはダンスをとめられそうになる。
呆然とする家族だが、父を筆頭に立ち上がり応援する。
コンテストもなにもないといった舞台でダンスを遮られるオリーヴの姿を家族は懸命に拍手で称え、
ついには舞台で一緒にダンスを始める。
まさに家族を守り、家族一体になって団結しようとする姿勢が滑稽に、でも深く感動的にも映るのだ。
スタンディングオベーションの恰幅のいい男性、オリーヴを受付してくれた係員、誘導係の女性、
彼らの中にもオリーヴの家族と同じものを見た。
それは同時にこの子供のミスコンという実態を皮肉るニュアンスも含まれているのだと思った。

子供でしか見えない世界がある。
子供でしか出せない力がある。
子供でしか伝えられないし自然体の美しさがある。
それらを重視し尊重するように。


この作品は、家族をテーマにした作品だ。
その中には決して順風満帆でない現実に動じても団結し、
その家族が持つそれぞれのらしさで何事も乗り越えられるという強いメッセージが込められている。
滑稽に見えることも、深く愛情が感動的につたわることも、
全てが織り交ぜられ、まとまっているのだ。
何気ない小さなことでも心にちゃんと伝わり、絆より一層強くする。
そんな温かい素晴らしさをこの家族の中に見た。

どこか滑稽さがどこにでも漂っているこの作品、ブラックユーモア的要素も垣間見れるこの作品、
本質は家族の温かさ。家族の大切さだろうと思う。
実に深い意味合いが込められている作品だと思った。







猟奇的な彼女

2002年 韓
監督:クァク・ジェヨン
出演:チョン・ジヒョン
チャ・テヒョン


上映当初から話題を呼んでいたこの作品は、
2004年冬にロードショー公開された、
チョン・ジヒョン主演の『僕の彼女を紹介します』で、
またもや話題性を復活させた。

私は同じくその話題性復活で、
この作品に興味を持った一人であり、
今回この作品を観て、見事にこの作品の素晴らしさを知る事ができた。

まずこの作品の主演二人の役柄。
どちらか、ということなく、
作品全体で、ホントに二人の表現が、
それぞれのキャラクターを言う事なしに演じていて、
観ていて作品に引き込まれてしまう。
「彼女」と「キョヌ」二人とも主役といった感じだ。

ストーリーは、お人よしの大学生キョヌが、
ある日、電車のホームから転落しそうになった泥酔状態の「彼女」を助けた事から始まる。
お人よしで優柔不断なキョヌ。
わがままかつ凶暴な「彼女」。
キョヌはそんな「彼女」に振り回される日々。
そして二人の友達同士?なのだか恋人同士?なのだかわからない関係が続いていく。

チョン・ジヒョン演じる「彼女」は、言ってみれば、
自由奔放で、有言即実行型。
とんでもない事を言い出してはキョヌを困らせる。

そんな彼女を見守るようにそばにいるのが、
チャ・テヒョン演じるお人よしで優柔不断なキョヌ。

この作品を観ているうちに、
二人のそれぞれのキャラクターの本来の姿を垣間見る事が出来る。

何事にも強気であたる「彼女」が何故キョヌを気ままに振り回すのか、
それはストーリーを追っていく内にわかってくる彼女の過去の事が原因。

一方キョヌは、一見彼女の言いなりで頼りなく見えるが、
実は人の気持ちを想える心の持ち主。
人の痛みを感じて癒す事の出来るおおらかで優しい、
何より芯の強い心を持っている。
誰よりも彼女の気持ちがわかり、
そして彼女のために行動する姿は、たくましくも思える。
チャ・テヒョンの自然な、飾らない演技でそのキャラクラーが大いに確立されている。

前半戦、後半戦、延長戦とチャプターに分けた描写も、
ひとつひとつのエピソードを丁寧に描いていて、
ストーリーも日常を感じる場面もよく含めて丁度いいテンポで進んでいく。

何よりこの作品が、
ステキなラヴストーリーであって、
そのストーリーを奏でるエピソードが、ちょっぴり笑えて、
びっくりさせられて、時に切なく、ロマンティックにも感じる事が出来る。

彼女とキョヌの二人の気持ちが伝わってくる。
心に響いていろんな場面がストレートに届いてくる




レディ・イン・ザ・ウォーター

2006年 米
監督:M・ナイト・シャマラン
出演:ポール・ジアマッティ
ブライス・ハワード

待ちに待ったM・ナイト・シャマラン監督の新作。
ヴィレッジにも出演したブライス・ダラス・ハワードの美しさが際立つ雰囲気に魅せられ、
また何よりシャマラン監督の描く世界を待っていた。

期待。

結果から言えば、素晴らしく、美しい作品。
期待を裏切らない素敵な作品。

物語の展開は、早く目覚しいながらも静かに感じ、
心情の現れる人物描写や、
圧倒的に表面で語る個性の人物描写が富んでいて、
そのギャップにユーモアも感じつつシリアスに見入る。


シャマラン監督がブライス・ダラス・ハワードに魅了されたであろうように、
私もまた彼女に魅了された。

それはやはり『ヴィレッジ』から始まる。
完璧に磨かれた陶器のようにも見え、
草原を柔らかく照らす木漏れ日のようにも見えるそのため息のでるほどの美しさ。
それに劣らずの自然で素晴らしく存在感たっぷりの演技。

そしてマンションの管理人、クリーブランドを演じた主演のポール・ジアマッティもまた、
優しさにあふれた素朴さを存分に感じるキャラクターを演じていた。

そしてシャマラン監督自身も重要な役に。
目で語るような演技の強い意思を感じる存在感。
静かな佇まいが印象的だった。

その描く世界に必ず入り込み魅せられてしまうのがシャマラン監督の作品だ。
この作品もまた、私が思うに、
愛、勇気、癒しがテーマになっているのだろうと思う。


ベッドタイムストーリーは時に現実と隣り合わせ。

ベッドタイムストーリーは大切な事を気付かせてくれる。
本来のあるべき姿を思い出させてくれる。

せかせかと日々を送り、当たり前のように過ごす時間も、
一瞬一瞬が全て大切な瞬間。
それは奇跡的と言えるであろう。

便利さに押し流され、身勝手に暮らすその時間も無駄に過ごす事はできない。
全てが尊いものである。

争いを繰り返すこの世界を変えるためにやってきたストーリー。
同じく彼女を守るために、世界を変えるために、動き出すクリーブランド 。
彼女の力なのか、本来の自分の力なのか、
きっと両方を持ち合わせて動くその姿こそが勇敢に見え美しい。

劇中のストーリーの言葉が実に印象深かった。
人は繋がっている。


クライマックスは言葉も出なかった。
胸がいっぱいで自然に涙が流れた。
この作品からたくさんのメッセージを受け取った。








恋愛小説家

1997年 米
監督:ジェームズ・L・ブルックス
出演:ジャック・ニコルソン
ヘレン・ハント

私がいつも掲げている人間の特徴として、
「非常に多くの複雑な感情を持ち合わせている」
という意見がある。
それこそが人間であり、
それによって、喜びや希望の感情が豊かになれるし、
逆に苦悩や絶望に陥る事もある。

精神ほど複雑で個性的なものはない
そう、私は思う。


恋愛小説家であるジャック・ニコルソン演じるメルヴィンは強迫性障害である。
症状としては不潔恐怖が主。
そし儀式的な生活様式。
それらの症状が酷いために自己保身するがゆえ、
他人にまでも自分の生活様式を押し付け、つい毒舌になる。

強迫性障害患者を扱った作品では、どうしても、患者が滑稽な形に表現される。
これが嫌なところだけど、客観的に見るとやむを得ない、と言われれば仕方ないが納得してしまう。
でもこの作品は、そういう要素も含まれるけど、
その中にも患者の苦悩が何気なく表現されている。
そういう表現を見ているとつい心を打たれる。

自分でも不条理だとわかっているけど打ち消せないイメージにがんじがらめになり、
それが自分の生活の一部になってしまう。
日常生活を卒なくこなしていると見えるようだが実際はかなりの苦痛を感じている。

だが彼は彼自身の力で自分を変えようとする。

いつものカフェのウエイトレス、キャロル、
その息子、スペンサー、
隣人のサイモン、美術商のフランク、
そして大変貴重なメルヴィンの力になるのが、サイモンの愛犬バーデル。

メルヴィンによって不快極まりない思いを強いられるこの登場人物たちは、
のちにメルヴィンによって素晴らしい道を齎される。

メルヴィンを含む、この登場人物たちの関係を見ていると、
実に心が温まる。
序章ではまるで想像できないエピソードが満載で、実に心が温まる。

メルヴィンは、自分の真の姿を隠すわけでもなく、
自分でも気付いていなかった。
だから彼の親切な行動も、彼自身親切だとは気付かなかったのだ。
それこそ、何の偽りのない、人を思いやる心であると思い知らされた。
つまり偽善でない。

人間同士の関わりあいがなんて温かい、
そう思わせてくれる素敵な作品だ。







恋愛適齢期

2003年 米
監督:ナンシー・メイヤーズ
出演:ジャック・ニコルソン
ダイアン・キートン

fell in love・・・。
ダイアン・キートン演じる女流作家エリカの、
切なく、熱い恋心が綴ったホントの気持ち。
こんなにもピュアで、なにか心がそわそわする。
喜怒哀楽に素直に従う心がなんて女性らしくて可愛いのだろうと感じる


この物語は、ジャック・ニコルソン演じるプレイボーイハリーと、
お堅い女流作家エリカのラヴストーリー。
次第に惹かれる心と心。
その心に素直に展開する自然な恋。
可笑しくて、切なくて、心がほんわかする。

しかし、ジャック・ニコルソン。
私にとっての初めてのスクリーンに映るジャック・ニコルソンは、『恋愛小説家』だった。
この名優のこの作品に、とても私はひき込まれてしまった。
そしてこの『恋愛適齢期』。
更に彼に圧倒されてしまう。
なんて魅力的で味のある俳優なのだろうか。
有名な彼の作品を今まで未見でこの作品で二作品目。
なんともったいないことかと思った。
でもそうでもない。
その魅力に遅くとも気付いたのだから。

この作品の主人公ハリーは、付き合う女性は全て30歳以下。
ハリーとエリカが出会うのは、なんとハリーがエリカの娘マリンの恋人として紹介された時だった。
御年63歳のハリーが娘の恋人だなんて、とうろたえるエリカだが、
彼と関わるうちにだんだんと彼に惹かれていく。

その優しい表情と女性の心を知り尽くしているような接し方。
ユーモアとセンス。
女性なら誰でもハリーに惹かれてしまうのではと思わせるほどの「素敵さ」だった。
なんというか、魅力的。


そしてダイアン・キートン。
知的で美しい彼女が見せる豊かな表情、心情の変化が、なんといっても可愛らしい。
恋をしている女性の可愛らしさ、美しさが彼女の満面の笑みや、隠さない心の同様ぶりで見て取れる。
彼女の笑顔はそれはそれは綺麗で、これまた魅力的。

魅力的な二人の素敵な恋。
特に海辺の二人のシーンはとっても素敵。
観ている私はずっとスクリーンの中のダイアン・キートンの変化する心情にのっとって、
表情が変わっていたであろうと思うほど彼女の恋の行方にそわそわしていた。
何度も言うが彼女の笑顔は最高だ。


女性監督らしい女性の心情が素敵に描かれたこの作品。
恋に切なさを知り、、心踊る。
恋の物語。
そしてユーモア。
素敵なラヴコメディだった。





ローマの休日

1953年 米
監督:ウィリアム・ワイラー
出演:グレゴリー・ペック
オードリー・ヘップバーン

不朽の名作といわれるこの作品をやっと観る事が出来た気がした。
クラシック映画に魅せられ手に取ったこの作品は、
未見でも名作であることから、観たことのあるシーンが満載で、
それ以上に知らなかったこの作品の魅力に大いに魅了されることになった。

オードリー・ヘップバーンがこの作品が初めての大作であることも初めて知った。
この作品で世に知られるときは無名の女優だったのだ。

あまりにも有名なこの作品、王女と新聞記者との一日という主たるストーリーは知っていたけど、
その一日に描かれるエピソードや王女の内面、新聞記者ブラドリーの心の変化など、
テンポが良い上に丁寧に描かれていると思った。


ローマの美しい街並みと人々の動き、
王女が見せる一つ一つの仕草がこれほどまでに魅力的なのだ。

ショートヘアーに変身した後にこぼれる解放感も感じられる爽やかな笑顔、
髪の毛にふと手をやる仕草、
ジェラードを食べる仕草、
ぷっとストローを吹いて袋を飛ばすお茶目さ、
初めてのたばこを吸う表情、この表情がなんともいえないくらいに優雅さが漂うのだ。
そして何より、ブラドリーと話している時の彼女の表情がとても明るく美しいのだ。

オードリー・ヘップバーンが演じる王女は、ホントは普通の女の子。
思いっきり休日を満喫したいし、ありふれた日常の行為に喜びを感じ、存在を実感する。
初々しい少女のとびきりキュートな本当の笑みがここにある。
そして彼女は恋に落ちる。
毎日の忙しいスケジュールの中、ひと時の息抜きのつもりでふと街に飛び出した王女、
そこで新聞記者のブラドリーに会い、かけがえのない一日の休日を過ごす。
ブラドリーの心境も彼女と過ごすうちにだんだん惹かれる想いを隠せずに本来の姿へと戻っていく。

義務。
その言葉が大きく彼女に圧し掛かり、また彼女もそれを痛切に承知していた。
何も変わることなく日々は流れる。
だがブラドリーと過ごしたこの素晴らしく楽しくてロマンティックな一日は、
何にも変えられない大切な一日として彼女の心に。


クライマックスの会見のシーン、
王女としての品格を誇らしく備え会見する王女は、いつもの王女であった。
だけど一つだけ彼女は自分の心の思うままに答える。
そうする事が彼女にとって大切な事であったように思えた。
ブラドリーを見つめる王女の瞳には彼に対する思いが切ないほど現れる。
ブラドリーもまた彼女と同じ思いに瞳をあわせ続けた。

誰の目にも映らない二人の時間と惹かれあった事実が、
見つめあう二人の眼差しと表情でこんなにも深く深く伝わってくる。