三人のエンジェル

1995年 米
監督:ビーバン・キドロン
出演:パトリックスウェイジ
      ウェズリー・スナイプス
   ジョン・レグイザモ

明治時代、あまりにも有名な女性文学誌にて、平塚らいてうが言った言葉、
「原始、女性は太陽であった。」
美しく、そしてたくましく、世を生き抜く女性という存在。

女性は強く、たくましく、そして、その存在で華を添える事が出来る。
この映画を通じて、この有名な言葉がキラッと浮かんできた。

ロードムービーにしてサクセスストーリー。
何事にもポジティブシンキングの三人のエンジェルが展開する原色満載の世界。
私は何度この作品を見てもわくわくうきうきするのだ。

自分という存在を、そして美を存分にアピールする、煌びやかなファッション、
鮮やかなメイク、光り輝くステージ装飾、そして、それを総合する究極の美の追求。
眩しいほどの照明とオーディエンスの大歓声、
軽快なダンスミュージック

これこそがエキサイティングなドラッグクィーンコンテスト!

出場者はそれぞれが個性的に存在感をアピール。ファッション、メイク、ダンス・・・。
そしてこのドラッグクイーンコンテストの地区予選、
女王の座を発表する、緊張すべき一瞬。
しかしプレゼンターの口から思いもよらず発言が。
なんと優勝者は二人。

そこで栄冠輝いたのは、
ノグジーマ・ジャクソン、ヴィータ・ボエーム!
ここでの栄冠を手にした二人にはハリウッドへの往復空港券、
そして同ハリウッドで催される、全米ドラッグクイーンコンテスト決勝大会への出場権を獲得。
湧き上がる歓声の中、一人でその場を逃げるように走り去った若き参加者がいた。
だが場内は冷めやまね興奮の渦。
彼女の事を気にするどころではなかった。

ショーが終わり、今後の希望に向かい胸を弾ませる二人。
と、そこで二人はさっき場内から走り去った若き参加者が階段にたたずみ涙に暮れているのを目にする。
二人の美を羨み、自分を落ちこぼれだと気を落とす若きヒスパニック系の彼女の名は、
チチ・ロドリゲス。
同情したヴィータはなんとかノグジーマを説得し、チチを一緒にハリウッドへ同行させる事に。

そこで三人は「お金の相談役」の元を訪ね、交渉の後、二人分の往復航空券を換金し、中古車を購入。
ここで、お金の相談役には、カメオ出演のロビン・ウイリアムス。
彼がまた、役を印象付け、ここになければならないような重要なシーンを作り出している。

ここで注目すべきシーンはヴィータがこっそり店内に飾られている、ジュリーニューマーのポートレートを、
勝手に拝借してしまうシーン。
コンパクトで化粧を直すヴィータが後ろの壁にジュリーニューマーのポートレートを発見。
そこには、「To wang foo,Thanks for everything! Julie newmar」
ーウォンフーに感謝を込めて。ジュリーよりー
ヴィータは、彼女がハリウッドに自分たちを招いている証拠だと、
店員や他の客の目を盗んでコンパクト越しにサッと自分のバッグに忍ばせる。
この何事もなかったように装うヴィータ演じるパトリック・スゥエイジの、
実に女性的な可愛らしいしぐさにうっとりしてしまう。
そう、このジュリー・ニューマーのポートレートに書かれている言葉こそが、
この映画の原題になっている。

さあ、いざ夢のハリウッドに向けて三人は動き出す。
まずは車選び。
ここでも見た目の美しさにこだわる三人は、
ディーラーが薦める安全安心な地味なカラーのトヨタカローラに見向きもせず、
ベージュの美しいフォルムのキャデラックのポンコツオープンカーを迷わず購入。

道中、チチのわがままに振り回され、何度となく衝突。
そのたび単純なチチはヴィータ、ノグジーマに丸め込まれ、なんとか冷静になるのだが、
ハリウッドに向かって走り続ける三人の車に一台のパトカーが近付き、
テールランプが壊れていると職務質問。
揉め事を避けるように冷静に振舞うヴィータのみを車から降ろし、
警官たる者、あってはならぬ行為をしかけ、
これに腹を立てたヴィータは男の本性を表し、抵抗のための攻撃。
あまりにも力の強いヴィータのせいで警官はその場に倒れこみ、
不安と恐怖を感じつつも三人は旅路を急ぐ。

だがその矢先、車が故障。
立ち往生を免れず途方にくれるが、小競り合いの後、
チチがヒッチハイクで車を止めると動き出し、チチはセクシーなポーズでヒッチハイク。
幸運にも一台のトラックが止まり、町まで連れて行ってくれることに。
彼の名前はボビー・レイ。
後にチチと恋仲(?)になる事に。

そこで三人が着いたのは、小さい田舎町。
車は修理できるが問題の部品がない。
そこで三人は数日間、この町に留まる事を余儀なくされる。

ニューヨークから来た派手な三人組が留まるという事で、町中は大騒ぎ。
彼女たちに支持するものもいれば、逆にそうでないものもいる。
だけどそこは持ち前のポジティブシンキングであっという間にみんなの人気者に。

ここで彼女たちに触れてみる。
良家に育ったエレガントで上品な、ヴィータ・ボエーム。
ファッショナブルで、中立主義、密かにハリウッドで成功する事を夢見る、ノグジーマ・ジャクソン。
ヒスパニック系の真実の愛を常に望んでやまないセクシーなチチ・ロドリゲス。
彼女達の美に対する思い入れは半端なものじゃない。
それぞれ見合ったファッションに身を包み、女性である事を最大限発揮していると思われる仕草や言動。

何事にも美に執着する様は、いろいろなシーンで窺える。
前述したような車選びをはじめとし、
提供された地味なゲストルームをあっという間に鮮やかに改装。
町人に心開かせ、彼女達の内なる美を少しずつ表に出す手助けをしたり、
いくら腹立たしい事があっても気品を忘れない徹底したこだわりとでも言うべきか、
内面から生み出される性格的なものというべきか、という感じである。

これがあのゴーストやハートブルーのパトリック・スゥエイジか。
ブレイドのウェズリー・スナイプスか。
ロミオとジュリエットで敵ティボルトを演じたジョン・レグイザモなのか。
思わず疑いたたくなる程の女性らしい美しさを漂わせた演技。
あるいは女性監督ならではの視点が窺えるともいえるのかも知れない。

実際に劇中では一人を除いて彼らが実際はドラッグクイーンだという事に気付かなかったし、
ボビー・レイのようにセクシーなチチに惹かれる男もいたのだから。
チチは後に若き恋に悩むボビー・リーに彼を譲るのだが、
これはある意味、女である喜び、女冥利に尽きるとでも言っていいような節もありうる。

そしてストーリーに戻ると、もう一つの見所となるのが、三人それぞれが町人と友情を深めるという展開。
ヴィータは暴力亭主に悩むキャロル・アンを救い自立への希望を見出させ、
ノグジーマは夫に逃げられ、声を失っていたはずの老女クレアの心を互いの好きな映画を語る事で開かせ、
チチはボビー・レイと恋に落ち、最高の幸せでいたが、ウソはつけない、と、恋に生きる道を諦める。
そして若き少女で恋敵であったボビー・リーに、ついには彼を譲るのだ。

ヴィータは親しくなったキャロル・アンに打ち明けようと切り出す。
が、彼女は気付いていた。

そしてクライマックスは町の女性たちが待ちに待っていた「いちご祭」
三人のアイディアも生かされ、今まで以上に美しくなった女性たちが中心のお祭りが始まろうとしていたその時、
いつかヴィータが正当防衛で攻撃にでた時の保安官が三人の居場所をつきとめ、町中に、
三人がドラッグクイーンである事を大放言。傷害犯としての身柄の引渡しを要求。

だが三人のおかげで明るくなり鮮やかに色付いてきた町、そして町人達。
いくら三人がドラッグクイーンであっても何ら変わる事はない。
保安官の前に立ちはだかったのはキャロル・アン、
そして次々とたくさんの町人達が三人をかばい、保安官に撤退を要求。

彼女達自身も、町人達もこの出会いで成長したのだ。

別れの時、ヴィータは以前、勝手に拝借したジュリーのポートレートを彼女に託す。
彼女はヴィータに、男でもない、女でもない、あなたはエンジェルよ、と。
クレアはノグジーマに一通の手紙を託す。「ハリウッドについたらこの手紙をロバート・ミッチャムに渡して。」と。

別れを惜しみながら町をあとにした三人。
待つはハリウッド。全米ドラッグクイーンコンテスト決勝大会。

その栄冠はこの旅を通じて大きく成長したチチに輝いた。
クイーンの王冠を贈るのはなんとジュリー・ニューマー。

ロードムービー特有の人と人とのふれあい。
人としての成長。
何度見ても心があたたかくなる。
三人のエンジェルが元気をくれるのだ。