パイレーツ・オブ・カリビアン

2003年 米

監督:ゴア・ヴァービンスキー
出演:ジョニー・デップ
オーランド・ブルーム


久しぶりに見たアドベンチャー映画は、
ワクワクしてストーリーの行方が気になってしょうがないという、
本来の目的通りの観賞となった。

ディズニーランドのあの有名なアトラクション、
『カリブの海賊』を題材にした作品だと言う。
それはそれは気になっていたのだが、
今になってやっと観る事が出来たという感じだ。

ストーリーといい、そのスケールといい、音楽といい、
何より登場人物が最高に素晴らしかった。

行き当たりばったりで奔放、いいかげん。
その表情、動き、口調、
何から何までユーモアを感じさせるジャック・スパロウを演じたのは、ジョニー・デップ。
個性的な役を演じたらぴか一な彼は、
実に存在感抜群の海賊ジャック・スパロウ船長を演じきっていた。
もうこの役はジョニー・デップしか考えられない。
本当に印象的だ。

そしてキーラ・ナイトレイ。
その美しい風貌とは打って変わっての、
おてんばでお茶目な性格が良く現れた、
怖いもの知らずの可愛らしい女の子を演じている。

彼女の出演作品を観るといつも思う事がある。
それは、彼女は綺麗なのか、可愛いのか、どちらなのか。
大人っぽい美しさも感じるし、
初々しい少女のような可愛らしさも同時に感じられるのだ。
なんてステキな女優なのだろう。

紳士的な鍛冶職人ウィルを演じたのは、オーランド・ブルーム。
スクリーンでの彼をこの作品で初めて観た。
まるで勇敢な王子様のようなオーランド。
愛を貫く姿勢と友情を信じる姿勢が更に彼を王子様のように思わせる。

脇を固める出演陣もみな印象深い役柄ばかりだった。

三人三様の人物像がとても面白く、
繋がっていく絆が滑稽に見えたり、
それが感動に変わったりもする。
見ごたえのある作品だった。








パイレーツ・オブ・カリビアン ザ・デッドマンズ・チェスト

2006年 米
監督:ゴア・ヴィービンスキー
出演:ジョニー・デップ
オーランド・ブルーム

面白い!!
一言で面白い!
そう思えたこのシリーズ二作目。
前作よりも増して面白かった。


それにしてもジャック・スパロウ。
このキャラクターはもう最高!
自然と滲み出る滑稽さが登場するごとに増す。

それにしてもジョニー・デップ。
ジャック・スパロウが乗り移っているよう。
何も役作りせずに、そのまま感じるまま、
表現したいままに演じているのではないかと思うのは私だけだろうか。
前作に増してパワーアップしたジャック・スパロウは見ているだけで面白い。

アドベンチャー映画とはこういうものなのだ!
そう思わせてくれるようなワクワク、スリリングな展開とエピソード。
それに負けないほどのシリアスの中のさらりとした笑い。
意表をつかれ、
思わず肩をすくめてクスッと笑ってしまうシーンが、
この作品の一つの魅力であるように思える。


そう魅力。

この作品の魅力とは、先に述べた笑いはもちろん、
これぞ!と感じるアドベンチャー、
キャラクターを確実に位置づける分かりやすい人物描写、
美しいもの、恐れを招くもの、広大さをいい意味で極端に表現しているところだと思う。
スケールの大きさを物語る音楽も素晴らしく、
輝くような存在感、個性に溢れた3人が何よりも魅力を放っていると思った。

次回作を期待させそうなクライマックス、
エンドロールへと繋がるクライマックスのシーンが、
音楽とともにクールにびしっと映えていた。

この面白さとはなんなのか、
と、考えたところ、こういう答えが出た。

この面白さ、是非大勢で楽しむべき。
こうい魅力に溢れたアドベンチャー映画なんだと思った。






パイレーツ・オブ・カリビアン ワールドエンド

2007年 米
監督:ゴア・ヴィービンスキー
出演:ジョニー・デップ
オーランド・ブルーム

前作、前々作を更に更に上回るスケールが際立つこの作品は、
前人未到の世界の果てへというクレジット通りの圧倒的なストーリー展開と結末に、
思わず拍手を送りたくなる気持ちになった。

勇気と信念、信頼を最も大きく掲げる海賊達の姿はみな潔い。

前作クライマックスでデイヴィー・ジョーンズの海の墓場へ捕らえられたジャック・スパロウを救うために、
エリザベスとウィルは、宿敵であったバルボッサと共に旅に出る。

この旅の敵は二方向にあった。
それは海賊を葬ろうとする東インド会社のべゲット、そして、デイヴィー・ジョーンズ。

海賊に残された存続の道は、9つの銀貨を持つ海賊が集結し評議会を開き、最後の戦いを挑むことだった。
9人の海賊が手を組み戦いを挑む。
そして向ったのは海賊長、サオ・フェンのいるシンガポール。
サオ・フェンを演じるのはアジアを代表するアクションスター、チョウ・ユンファ。
新しい顔ぶれになる彼はまたその存在感と迫力で作品に重圧を添える。
様々な国の海賊長が結集し、残る一つの銀貨を持つ海賊がジャック・スパロウだった。

この作品は、前2作の完結編という事もあって、そのストーリーの中に全ての謎が明かされる。
テンポの良い展開と確実な謎解きで時間を忘れるほど作品に見入ってしまう。
これこそアドベンチャー映画の醍醐味であろう。


この作品でもう一つ印象深いのは、ジャック・スパロウの父の登場シーンである。
ジャック・スパロウと風貌がそっくりなこの父を演じているのは、
なんとローリング・ストーンズのギタリストキース・リチャーズ。
短い出演時間に関わらず圧倒的な存在感と演技であった。
この作品のジャック・スパロウというキャラクターを演じるに当たって、主演のジョニー・デップが役作りの手本にしたのが、
まさにキース・リチャーズの独特たる動きであったという。
それもあってこのキャスティングは大いに興味深いものであると思った。

壮絶な戦いを挑む海賊達とその向う先、
自らの存続と未来のために突破しようとする姿は勇気と強さそのものである。

その中で、浮き彫りにされるのが、エリザベスとウィルの愛、ウィルと父親との絆。
エリザベスを愛するウィルのもう一つの目的とは囚われたウィルの父親を救い出すことだった。
だが、父親と救い出すことは、同時にエリザベスとの別離を意味する事だった。
彼を捕らえたデイヴィー・ジョーンズを葬ることは、次期のこの船の船長になる事を示す。

この作品で最も印象深いシーンは、激闘の中で愛を誓い、結婚の儀を運ぶ二人の姿。
勇敢な二人の愛だけを信じるその姿に心を打たれる。
まさに名シーンと言えよう。

さて、この作品のクライマックスは、とても素晴らしい。
想像し得なかった結末に、驚愕すると共に感動した。

ジャックを演じたジョニー・デップの更なるその個性、
エリザベスを演じたキーラ・ナイトレイの更なる美しさ、
ウィルを演じたオーランド・ブルームの更なる逞しさが非常に印象的な作品となっている。

この作品の3人の主役、ジャック、ウィル、エリザベス、それぞれの道が用意されている。
それは驚くべきものがあり、心を打つものがある。
だが、この結末は完璧で完結を彩るにふさわしいクライマックスとなっている。











バタフライ・エフェクト

2005年 米

監督:エリック・ブレス&J・マッキー・グラバー
出演:アシュトン・カッチャー
エイミー・スマート

上映当初からとても気になっていた作品。
ミニシアター系の雰囲気が漂う予告編からして大変印象深く、
更に主題歌がよりいっそう妙に映画にマッチしているように思えた。

バタフライ・エフェクトとは・・・
「ある場所で蝶が羽ばたくと地球の反対側で竜巻が起こる。」
というカオス理論の一つだそう。

ストーリーは、幼い頃より、断片的に記憶喪失になってしまった経験のあるアシュトン・カッチャー演じる主人公エヴァンと、
同じく幼い頃に同時期に心に傷を負ったエヴァンの最愛の人エイミー・スマート演じるケイリー、
レニーとトミーといった友人の数奇に展開するそれぞれの経緯を描いている。

少年の頃から慕うケイリーの家で起こった事、
レニーとトミーとケイリーと共に母子の家にダイナマイトを仕掛けた事、
トミーがの犬を殺した事、
精神を患う父親に会いに行った時の事・・・、
それらの事件の直前、エヴァンは記憶を失ってしまっていた。

あまりに衝撃的な事件が続き、とうとう、家を越して大好きなケイリーと離れ離れになるエヴァンだが、
車の窓越しに「I'LL COME BACK FOR YOU」の文字を掲げ、
それから7年後にエヴァンはケイリーの元に戻ってくる。
失われた記憶を辿るために・・・。
だが二人の再会は悲劇的な結末へと誘う結果となってしまった。
ケイリーは翌日自殺してしまった。

彼女を守りたい。
彼女を幸せにしたい。
彼女とずっと一緒にいたい。
そんな事から彼は過去の日記とありったけの記憶とともに、
身に付けた不思議な力で何度も何度も過去へ戻る。
辛かった現実を変えて違う人生の経緯を辿るために。

はじめに戻った時は美しく優しいケイリーがエヴァンのそばに。
二人はずっと一緒で幸せな生活を送っている。
だが、以前の凶暴な性格がそのままだったケイリーの兄トミーと口論になると、
彼はそのままトミーを殺してしまう。
そして刑務所へ・・・。
絶望したエヴァンは所内の仲間に力を借りてまた過去へと戻っていく。

何度も過去へ戻る
それは言うまでもなくケイリーを守るため。
彼女に幸せになってもらいたかったからだった。
だが何度過去へ戻っても、彼女や、の仲間レニー、トミー、彼の母親いずれか人生が
必ず犠牲になってしまうのだ。


何度も戻った過去の現状に絶望するエヴァンは、
一番初めに戻る決心をする。
それは、愛すべきケイリーと初めて出会った時。
ホームビデオに写された初めて会う幼い二人。
ケイリーはエヴァン に近づいて挨拶するが、この時エヴァンはケイリーを自分から遠ざけようと、
わざと反抗的な態度を示す。
そう、こうすることで、ケイリーとエヴァンの人生は完全に遠のいたのだ。
それからの 、ケイリー、トミーの人生は幼い頃に起こった惨劇の存在せず、穏やかなものとなった。
当然レニーとエヴァン自身も。

最愛のケイリーの幸せを考えてとったエヴァンの不思議な力による最後の許されざる行為。
出会いはしたのもの交差しなかったエヴァン、ケイリー二人の人生。
だがエヴァンは後悔はしていないだろうと思う。
何より彼女の幸せを望んでいたのだから。

数々のトラウマと幼き感情がとても切ない。
勝手な人間の言動でもう一人の人間が傷つけられる事、
出会ってしまった真実がこれまで最悪な経緯を辿ってしまう認めたくない現実。
それらが交錯したそんな現実を変えるべく、
はなんの迷いもなく許されざる行為に出てしまった。
それは過去へ戻ってやり直すこと。
数々の犠牲の発生を防げずにいたのは、全て二人が出会ってしまったから・・・。
そう悟った時のエヴァンの心情は何とも尽くし難いのもだったと思う


なんの惨劇も絶望も存在しないかのようないつもと変わりない街の雑踏。
すれ違うエヴァンとケイリー。
交錯しない二人の人生。
だがなんとも穏やかな空気がそこには流れている。
ゆったりと流れるオアシスの名バラード、『stop cryin' your heart out』が、
更に切なさを増す効果となっている。
だがそれは切なさだけでなく、
彼のやっと安らげる心を静かに表現しているかのように思えた。






ハッピーフライト

2003年 米
監督:ブルーノ・バレット
出演:グウィネス・パルトロー
    キャンディス・バーゲン

DVDのジャケットで、ずっと観たかった作品。
グウィネス・パルトロー主演のラヴコメディというだけで、
とても気になってきてやっと鑑賞したのだけど、
ジャケットのイメージを裏切らないステキな作品だった。

それにしてもグウィネスって漂う知的さや気品が天下一品。
あの美しいルックスが時にクールに、時に可愛くも見える。
すらっと背が高く、美しいボディラインと脚線美。
言う事なしに美しい。

出演作品を思い出してみると、
一番印象深いのが、
『恋に落ちたシェイクスピア』。
あのブロンドの豊かな髪をゆるくウェーブさせたヘアースタイルは、
とてもキレイだったし、
この作品で男装もしたグウィネスは、なぜか小柄に見えた。
この作品で見せる純粋な少女のような満面の喜びの表情は、
観ているこっちまでにっこりとしてしまう。

さてこの作品は、
グウィネス・パルトロー演じる田舎娘のドナが、
憧れの国際線ファーストクラスのスチュワーデスになるべく奮闘するサクセスストーリー。

コミカルで、常に向上心を持っていて活動的なドナの役柄はグウィネスにぴったり。
各航空会社のユニフォームや、研修時のユニフォーム、
個性を感じるプライベートファッション、
その時々に変わるヘアースタールもかっこよくて見もの。


そして出演陣がみんな印象的。
まずはドナが憧れるサリーを演じたキャンデス・バーゲン。
自由奔放なドナの後輩クリスティーンを演じたクリスティーン・アップルゲイト。
教官役のマイク・マイヤーズ。
それぞれの個性を発揮した彼らがとても印象深い。
そしてちょっとびっくりしたのが、
地元の航空会社のパイロット。
このパイロット、ロブ・ロウ。
ホントにカメオ出演よりの脇役だが、かなりの存在感。
さすがロブ・ロウ。

この作品、サウンドトラックがまた最高。
女性ヴォーカルを中心としたサウンドトラック。
なかでもリアン・ライムスの『サドゥンリー』はこの作品にぴったり。

明るくポップなサウンドトラックに乗せたキュートで、ちょっぴり切ない、
でも最高にポジティブな作品。





ハプニング


2008年 米
監督:M・ナイト・シャマラン
出演:マーク・ウォールバーグ
ズーイー・デシャネル

M・ナイト・シャマラン監督の映し出す世界は、独特だ。
静かに流れる時間の中に存在する脅威や幻想、
人の本質を射抜く弱さの描写、
勇敢に奮い立つ強さのパワーがいかに日常にて身近に存在しうるかという、
恐怖、愛、勇気、継続が確かに表現されている。

彼の作り出す物語と映像の中にはあるテーマがあり、それぞれ明確だ。
その物語を展開させるエピソードが実に素晴らしく、
人間味に溢れる一方、ファンタジー的要素も感じることが出来る。
これが彼の作り出す独特な世界のエッセンスになっているのだろうか。

さてこの作品は、デザスター映画である。

デザスター、パニックをシャマランが描くとどうなるのか、
それはこの作品のあらゆるシーンの心理描写が語ってくれる。

いつもと変わりない風景の中にいる人間達を見えない脅威が襲う。
まず、人は意味不明な言葉を発し、更に方向感覚を失い、仕舞いには自ら命を絶つ行動に駆られる。
まるで無の感情に操られるように、朝の公園で次々と人々が絶命していく。
公園で起こったこの事件に、テロではと叫ばれるが、その現象は瞬く間に広範囲に広がっていく。
この現象は、その日の朝に起こり、翌日の朝に終わる。
まさに、音も立てない風と共に起こったこの断末魔を感じさせる恐怖に、人々は恐れおののく。

主人公はマーク・ウォールバーグ演じる、高校で科学を教える教師のエリオット。
この非常事態は、すぐに彼の高校に知れ渡り、生徒は帰宅。
エリオットも妻のアルマを連れて、
同僚で親友のジョン・レグイザモ演じる数学教師のジュリアンの提案で彼の娘を伴い、
安全な場所へと避難する。
ジュリアンの妻も同行するはずだったが、遅れてバスに乗ることになった。
電車は発車するが、目的地に着く前に連絡が途絶え、途中停車。
立ち往生する人々は、車で方々へ避難することに。

エリオットらは、良心的な夫妻に同乗を進められ、避難にでようとするが、
ジュリアンは、エリオットに娘を託し、一人で、妻のいるであろう場所へと向かう車に乗り込む。
恐らく覚悟を決めて乗り込んだジュリアンも、妻のいる場所へたどり着くことも出来ずに絶命してしまう。

一方エリオットらだが、向かう場所向かう場所毒素に襲われ、どうしようもなく車を捨て、
他の避難する人々と共に草原を歩いて進むことに。
近寄る見えない脅威に判断を迫られるエリオットたち。
この見えない脅威は一体何者なのか。

恐怖の対象がはっきりしていないこと、
いつくるかわからないこと。
これがこの作品の特徴であり、今までのデザスター映画とは異なる点である。
一瞬の身動きさえ慎重さを求められるこの恐怖の中での人間は、
冷静さを失い錯乱することすらできない。
まさに静の中の恐怖であり、微動だにしない表情の中に浮かぶその心理描写は身も凍りつくようだ。

この作品、デザスターの中で確実に描き出されるのは、やはりシャマランの世界のもう一つの魅力である、
謎や恐怖の中にある愛である。

主人公エリオットとアルマ。
高校で科学の教師をするエリオットは生真面目で常に冷静沈着、努力家な男だ。
一方、アルマはどこかよそよそしく、
緊急時にも携帯の着信を気にするなどなにかエリオットに対して後ろめたいことがありそうだ。
二人の仲をいち早く見抜いたのは、ジュリアンだった。
アルマがエリオットとの結婚式の当日泣いているのを目撃してしまった。
二人の間には厚くはないが見えない壁があるように思えた。
そして、ジュリアンが、娘ジェスをエリオットに託す際、
ジュリアンは真剣なまなざしで、アルマに告げる。
娘を守り抜けないなら娘の手を取るな、と。

パニックの中で一番の支えになるのは家族や恋人、友人の心の絆だ。
様々な描き方をされる数々のデザスター映画の中では、
特にゆるぎない家族の絆が表現されるものだ。

だがこの作品では違う。
緊急事態に置かれても、エリオットとアルマの仲はなにかぎこちないものがあった。
だが非常事態に立ち向かう中で、そしてジュリアンが託した大切な娘ジェスを守る中で、
アルマの心に中には何かが芽生え、大きく変わっていく。
それはエリオットも同じだった。
常に冷静を保っていても、アルマの態度を心の中で責めていても、
心の奥底から彼女を愛している。
だが不器用なエリオットは常に平静に態度を保つことを見せるしかできない。
だが、極限状態に置かれ、判断を迫られる時、身の危険よりも先に、自分の身を愛する彼女のそばに置きたい、
つまりどうなってもかまわない、何が起ころうと彼女のそばにいたいという切実さを露にさせる。
このシーンはなんとも切なく、心を打つ。
愛に導かれ、恐怖の鎧を剥ぎ取った瞬間だと言えよう。

シャマラン監督の作品には、このような愛に関する非常に心に響くシーンが必ずある。

ズーイー・デシャネルが演じるアルマという女性の中にある若さと迷い、
だがそれとは間逆に母性とエネルギーが上回る。
それは彼女自身の愛が彼女を成長させたように映る。

マーク・ウォールバーグが演じるエリオットの冷静沈着さ、
決して諦めない努力で見せる頼もしさの裏側にも弱さがある。
それを見せることが出来たのも愛のせいなのだと思った。

愛し合う人と人とが支えあう姿なのだ。

一方、愛する妻を、愛する娘の元へ連れ戻すべく覚悟の行動に出るジュリアンもまた、印象深い。
乗り合わせた車の中にて、目の当たりにした最悪の光景に混乱する女性を数学の問題を用いながら落ち着かせるシーンは、
彼自身の緊迫感を包み込み弱きを守る強さと頼もしさ、男らしさを感じる。
登場時間が短いのに、父親としての夫としての強さ、人間的に正直であり、
温かくもシビアな部分を覗かせる性格的なものが良く表現されている。
ジュリアンを演じたジョン・レグイザモという俳優の素晴らしさに圧倒された。
彼の存在感は実に印象深いものだ。

この作品の謎は、展開するストーリーの中で登場人物たちが解明のヒントを伝え合う。
だが、それが原因だとは、誰もが知ることはできない。
ただ言える事は、これは警鐘であり、いつ起こるかわからない、どこで起こりうるかわからないという事だ。
人間への警鐘、そう取れるだろう。
クライマックスは、シャマラン作品らしからぬ展開だといわれるが、
その中にもシャマラン監督らしいささやかな希望の出来事が待っている。








バリスティック

2003年 米
監督:カオス
出演:ルーシー・リュー
    アントニオ・バンデラス

まるでサイボーグのような、一瞬の表情も変えずに戦いに挑むルーシー・リュー、
ダークカラーのスーツアンドコートでスレンダーな身を包み、
ごついマシンガンを自由自在に操る。
彼女の名は「シーバー」
元DIAエージェント。
名前すらとっても、かっこいい。

ル−シー・リューの出演作品は何本か観ているが、
この作品の彼女は特にパワフル。
まさに向かうところ敵なし。

そしてアントニオ・バンデラス演じる元FBIのエクス。
彼は以前、DIAの陰謀により、最愛の妻と引き離され、荒んだ日々を送っていた。

そのエクスにある依頼が。
元DIAエージェント、シーバーの裏切りにより誘拐されたDIAの総長の息子を救い出すという依頼。
その依頼に、一切の受け入れを拒否したエクスにFBIは、
シーバーは行方不明の彼の妻ヴィンの居場所を知っている、と。

そしてエクスのシーバーの追跡劇が始まる。

一方、DIAエージェント達も彼女を追跡。

だがDIA総長が送った敏腕のエージェントも、彼女によって、
ことごとく潰されていく。

そしてシーバーVSエクス。

二人の戦いは如何に。

この作品、予告編や、ビデオのパッケージからは窺え知れない真実が満載なのだ。

人物同士のつながり。
そしてアクション以上に、深い悲しみに打ちひしがれているシーバーの過去や、
DIA、そしてエクスの心情などが織り交ぜられている。


すさまじい爆撃シーンや、銃撃戦。
この作品のほとんどがそういったアクション展開になっていて、
その展開はスピーディー。

特にルーシー・リューのアクションシーンは男性顔負けの迫力。

だが、クライマックスで見せるシーバーの優しい笑顔と、
エクスの、シーバーを現す言葉には心を打つものがあった。


そしてエンディングテーマの「Anytime」
この曲が物語を更にドラマティックに仕上げている。





春の日のクマは好きですか?

2006年 韓
監督:ヨン・イ
出演ぺ・ドゥナ
キム・ナムジン

演技派女優ぺ・ドゥナの魅力がふんわりと漂う、
タイトル通り、春の日の優しさがたくさんつまった素敵な作品だった。

この作品で魅せるぺ・ドゥナの等身大の飾らない自然な雰囲気は、
とても心を暖かくさせてくれる。
そして彼女のその可愛らしい個性にくすくすと笑ってしまう。
ぺ・ドゥナという女優は作品ごとにいろいろな顔を見せてくれる。
とはいっても彼女の出演作品は数本しか観ていないのだが。
だけど全体に感じさせるそん存在感は素晴らしい。


ぺドゥナ演じる・ヒョンチェは飾らなくて可愛い、
そしてちょっと不器用な女の子。
小説家の父のために借りるための図書館の画集に、
次々に自分宛と見られるメッセージを見つけ、
まだ見ぬメッセージの送り主に心ときめかせる。

ロマンティストで個性的な父親、
父親が想う聴覚障害者の素敵な女性、
姉御肌で頼もしくすこし大胆な女友達、
ヒュチャンを見守るようにそばにいてその思いを伝え続ける男の子。
彼女を取り巻く人達は彼女の物語に華を咲かせます。

女の子なら誰でもときめいてしまうファンタジー。
ロマンティックなミステリー。

ヒョンチェの一挙手一投足が見ていてとても心を温めてくれる。
等身大の女の子。
自然で飾らないありのままの自分であることの素敵さがとても伝わってくる。

この物語に関わってくるのは二つの恋のエピソード。
それは画集と、恋する心に描かれている。
人を想う素晴らしさや尊さが温かく柔らかく伝わってくる作品だ。







ハンコック

2008年 米
監督:ピーター・バーグ
出演:ウィル・スミス
シャーリーズ・セロン

この作品には、スーパーヒーローがいて、
彼のイメージアップ作戦に乗り出すPR会社の社員がいて、
その彼の妻と子供が登場する。

ハンコックはスーパーヒーロー。
超人的な力で凶悪事件を解決、困難から人を助ける。
ただ、やりかたが過ぎるのだ。
事件を解決するとともに彼は町中に大きな損害をも与えてしまう。
破天荒なアウトサイダー。
市民からの評判は最悪で皆の嫌われ者。

スーパーヒーローが皆がみな愛されるわけではない。
だが、スーパーとは超人的、ヒーローとは英雄。
一般的に語られるスーパーヒーローは、やはり皆に愛され尊ばれるべきなのだ。

そう考えるのがPR会社に勤めるレイ。
彼にそう考えさせたにはある出来事がきっかけだった。
ある日踏み切りの中に立ち往生してしまいあわや路線電車に衝突、
といった危機一髪のところでハンコックに助けられたレイ。

彼はハンコックを命の恩人と讃え、自宅に招く。
自宅には美しい妻とかわいい息子がいた。
酒ビン片手のだらしない風来坊に息子は半分の好奇心と半分の好意を抱くが、
レイの妻のメアリーは、彼のやる事なすことに嫌悪感を抱いていた。

レイは市民の評判が下がる一方のハンコックのイメージアップ作戦を提案する。
その提案とは、今までの、やりすぎた行為を侘び、出頭し、一から出直すことという。

レイの言うとおりに出頭するハンコックは刑務所に。
だが、まもなく凶悪事件の解決に狩出される。

特別に出所して、レイの言うとおりのスーパーヒーローらしいタイトなスーパースーツに身を包み、
颯爽と歩き、事件を鮮やかに解決し、
凶悪事件に立ち向かおうと命がけの努力をする警官に「よくやった!」と讃え、
その場を去る。
その行動の何もかもがぎこちなく不器用さが際立つが、
それを見た市民はすぐさま彼を見直し、スーパーヒーローと認めることになるのだ。

レイの計画は成功し、すべてがうまくいくように見えた。

だが、物語はいわゆる後半へ。
そう、この展開を見せ、作品はまだ中盤。無論クライマックスにさえ差し掛かっていないのだ。

嫌われ者のヒーローが、皆に愛されるヒーローになり、今まで以上の活躍を見せる。
だが、彼はなぜ、そんな超人的な力を持つのか。
特別な人間ということなのか。
それでは世には彼のように特別な人間が他にもいるのだろうか。

この後に、非常にドラマティックな展開が待っているのだ。
そのドラマ性、切なく、この後いったいどうなるのか、そんな期待と疑問で心は動揺する。
もちろん、物語の前半は、コミカルにテンポ良く、実に見ごたえがある。
だが、後半の展開は、前半以上の驚きと心に響くドラマがあるのだ。
良くできた基本的なストーリーの地盤となるドラマに感極まる。


ハンコックを演じるウィル・スミス、
レイを演じるジェイソン・ベイトマン
レイの妻メアリーを演じるシャーリーズ・セロン。
それぞれがそれぞれに待ち受ける現実に向き合った時、
彼らが映すその心情は非常に観るものの心に衝撃を与える。
その衝撃は動揺であり葛藤であり、感動なのだ。






バンディッツ

1997年 独
監督:カーチャ・フォン・ガルニエ
出演:ヤスミン・タバタバイ
    カーチャ・リーマン

こんなにも私の心を夢中にさせる映画に、何故今まで気付かなかったのか、
疑問と同時にこの遅れをとった風な感覚が鈍く渦巻いている。

いや、気付かなかった訳ではない。
実はレンタルビデオ店にて、『バンディッツ』というジャケットのこの映画に、
この作品の存在に気付いていた。
だが手にとって見ることがなかった。

だがある日、じっくりと、いい作品がないかと時間をかけて探している時、
この作品のジャケットを手に取った。
裏表紙を見ると、ガールズバンドの文字が。

以前よりガールズバンドが好きな私は、
あらゆる作品中に流れるくせのある個性的な声や、
ライヴハウスやバーのシーンに現れるグランジ系のガールズバンドについ注目してしまう。

そしてこの『バンディッツ』という作品を観て、
完璧にノックアウト!
あまりに魅力的で個性あふれる女性4人に見事に魅了されてしまった。

さてストーリーについて触れてみると、
一言で言うと、この作品は、
夢と自由を追い求める4人の女性の物語。

それがルナ、エマ、エンジェル、マリー。
彼女達は刑務所内で結成された囚人バンド。

彼女達は警察主催のパーティーにて演奏のチャンスを与えられるが、
その機会を狙って脱走。

彼女達の脱走劇は瞬くうちに世間に広まり、
あっという間に世間を魅了する存在となる。

彼女達の逃避行はそれぞれの追い求める自由。

女性監督ならではの女性の生き生きとした映し方。
微妙な心や、葛藤さえもドラマティックに映る優しい色彩の映像。
喜びや、何より登場人物の躍動感を感じるカメラワーク。
そして音楽。
一つ一つのエピソードがホントにクール。
それに合わさって出演陣4人の女優の見事な個性の印象付け。

もう言う事なしにクールでかっこいい映画。






陽だまりのグラウンド

2003年 米
監督:ブライアン・ロビンズ
出演:キアヌ・リーヴス
ダイアン・レーン


ここ何年の間、キアヌ・リーヴス主演の映画とは疎遠だった。
今や彼の代表作であると言えるであろう『マトリックス』シリーズも未見であって、
『ディアボロス』、『コンスタンティン』などにおける、
キアヌの驚異とも感じる表現力には
圧倒されるし、いつも驚かせられるが、
私はやっぱり人間味のある一癖あるような、
等身大のキアヌ・リーヴスが魅せる演技も好きなのだ。

この作品は以前から知っていたけど、観る機会がなく今回CS放送での観賞。

ギャンブルに溺れ、自堕落な生活を送っていて窮地に立たされた主人公が、
野球を通じて子供達と接するうちに新たな人生を歩む決意をしていくといった感動作。

この作品のキアヌは実に自然でちょっとした些細な仕草でさえも、
実に良い意味での人間臭さが垣間見れる。
それが不器用とか、子供っぽいとかという表現にぴったりなのだ。

近年クールでタフな主人公を演じることが多いキアヌ・リーヴスも、
こういう作品では実にキャラクターの存在感が光る。

テンポの良い展開。
子供達のそれぞれのエピソードなども分かりやすく、
観ていて爽快感さえ覚える。
それと共に、目を背けたくなる現実も存在するが、
それに対する、人間の強い関わり合いや絆、信頼というものが浮き彫りになる。


全編通じて流れるヒップホップナンバーも、
野球にヒップホップ?と意外に思わせることなくしっくりくるのだ。

「ガキは苦手だ。」
そう言ってコーチの任務を退けようとしていたキアヌ演じる主人公だったが、
全編を通し、言葉とは裏腹に、
誰よりも子供の事を思っている、不器用だけど暖かい心がとても心に響く。







ビューティフルマインド

2001年 米
監督:ロン・ハワード
出演:ラッセル・クロウ
ジェニファー・コネリー


寄り添う心、美しい真実の愛、
それが一番大切なもの。
それは理屈ではなく、何の理由も要らない。
不変で美しいものなのだ。


そんなメッセージが心に優しく伝わってきた。

どこかファンタスティックな映像効果が更にこの作品を印象つける。
美しさを存分に伝えるこの作品の全体像がまぶしいほど。

実話を基にしてつくられたこの作品。
実在の数学者、ジョン・フォーブス ・ナッシュ・ジュニアの物語である。

ジョン・ナッシュを演じるのはラッセル・クロウ。
そしてジェニファー・コネリー演じるは美しい妻アリシア。

天才数学者として名高い彼の波乱に満ちた精神との闘いの日々、
それを支える妻の苦悩が痛切に描かれる。

追い詰められる不安の色と、現実の色とがはっきりと分かれている、
そういう風に頭の中では感じるのにその色が同じ線を辿る。
温かく柔らかい現実、
そして時に凍てつくような冷たい色をした幻覚。

作品中、アリシアはジョンを見つめ、手をとり、自分の温もりを伝える。
そして心を。

本当のものを知るのは頭ではなく心。

そういうアリシアの瞳は強さと弱さが同居したように輝き、
愛が更にその輝きを増す。

自分を見つめることが出来たジョンは、
本来の自分を取り戻すために更に自分と向き合う。
自分のため、愛する人のために。
頑ななプライドに縛られず、懸命に闘う姿が美しく映る。
何故ならそれは愛のためだから。







ファム・ファタール

2002年 米
監督:ブライアン・デ・パルマ
出演:レべッカ・ローミン・ステイモス
    アントニオ・バンデラス

     ロール/リリーを演じた、レベッカ・ローミン・ステイモスは、
この作品のヒロインに起用された時、他の出演作はあるものの、まだ新人だった。

彼女の持っているパワーは物凄い。
この作品のみならずその存在感は抜群。
完璧な美貌、そして彫刻のような見事なボディライン。
見ても解るとおり、彼女はスーパーモデル出身、
世界で最も美しい人50人に選出されるなど、
その美の経歴は華やかである。

この作品、結果から言ってしまえば、ホントによく出来たストーリーであると思った。

序章から、食い入るようにその用意周到とでも言うべきか、完全犯罪振りに、
顔をしかめながら見入ってた。
スカッとする場面もあれば、うーん・・・と納得いかない場面もあり、
気付けば1時間半程過ぎていた。
それから10分くらい経過。
物語は終盤を迎えたに見えた。
ここまでの私の心の中は、まさに『・・・。』
そう、納得出来なかった。
これがクライマックスなのか・・・。
かなりショック。

だがそれからの数十分でスト−リーは一転。

そうこの作品はこういうストーリー。

はじまりの舞台はカンヌ映画祭。
数々のセレヴリティーが集まる会場にて、一際、注目を浴びる女性がいる。
煌びやかなゴールドにダイヤをあしらった高価なビスチェ。

そして着々と準備は整えられていた。
彼女の身に着けたビスチェの強盗計画。
ロールはその一味。

ロールは彼女を誘惑し、見事にビスチェのすり替えに成功。
だがその後、仲間を裏切り逃走。

危機を救ってくれた中年夫婦の家の一室で目覚めたロールは、
自分の事をリリーと呼ぶ夫婦に疑問を感じ、部屋を眺めると、
自分と瓜二つの女性の写真を見つける。

リリーは、夫と子供を亡くしたという女性。
ロールがバスルームに居ると、ロールの存在に気付かずにリリーが帰宅。
悲しみに暮れるリリーは、銃で自殺を図ろうとする。
それをじっと見つめるロール。
そしてリリーの自殺。

ロールは自殺してしまったリリーに成りすまし、アメリカに立つ。
そして機内で出会ったアメリカ大使と結婚。
再び、フランスに戻る。

逃走仲間から身を隠すため、一切の存在を隠していたリリー。
世間では存在が明らかでないアメリカ大使の妻に興味深々。

そしてその頃、ある依頼により、大使の妻のスクープ写真を追う男が居た。
アントニオ・バンデラス演じるニコラスは見事彼女を写真に収める事に成功。

彼のスクープによって、街角のポスターに写真が載ってしまった事で、
全てが狂っていく。

そして完璧なほどの策略が始まる。

スクープ写真だけでは気がすまないニコラスは、リリーに近付くが、
逆に彼がリリーの罠にはまってしまう。
巧みに彼を誘惑し、彼を、アメリカ大使の妻の誘拐犯にでっち上げる事にこれまた成功。
だが憎みあいながらも二人は惹かれていく。

信じるか否か。
リリーは、大使に身代金を請求し、二人で山分けしようと持ち出すが、
肝心な、身代金の引渡しの現場で、ニコラスが、全ては彼女の罠だと暴露。
取り乱したリリーは夫を射殺。
その後、ニコラスとリリーは撃ち合ったが、弾はニコラスに命中。
その場に何故かあの強盗仲間の二人組みが絡んできて、
あっという間にリリーは橋の上から水中に投げ落とされてしまう。
二人組みがリリーにつかみかかり、投げ落とす様を絶命寸前に穏やかに眺めるニコラス。
水中に沈んで、浮き上がろうとするリリー。

ああ、こんな結末って・・・。
かなりの悪女振り炸裂だったロールが。
騙され、彼女に惹かれながらも罠にはまってしまったニコラスの最後がこれ。
うーん、納得いかない。
こんな思いが私の心の中で叫んでいた。

リリーがそのしなやかな肢体をゆっくりとたゆませながら水中に浮き上がる。
と、何故か場面はバスルーム。
うとうととバスルームで寝てしまったロールは沈みゆく体に気付き、目が覚める。

そう、これは全部夢だった。

その時、リリーが傷心のまま帰宅。
ロールの存在に気付かず、銃で自殺しようと引き金を引く。
そうはじめの場面である。
夢ではロールは見てみぬふりをして彼女の自殺を確認し彼女になりすました。

だがこれは実際に目の前で起こっている出来事。
いたたまれずに、ロールはリリーの銃を取り上げる。
そして、自殺を食い止める。
あんたの守り神なのよ。
そしてロールはリリーに、
悲しい出来事は忘れてアメリカで再出発しろと告げる。
飛行機で、男に出会い、恋に落ちる、と。
まさに夢の中でロールがリリーに成りすました事によって起きた出来事。
飛行機で出会った男こそがリリーの後の夫となるアメリカ大使なのだから。
運命はここで変えるしかない。
そう言ってロールはリリーの心を動かす。

リリーは出発の日、トラックの運転手に今は亡き娘に送ったネックレスを託す。
彼にはリリーの娘と同じくらいの娘がいる事を知って、彼に娘へのプレゼントにと。
そしてリリーはこう言った。
今はわからないけど、成長すればこれが偽物だと気付く。
その時にはここにつけて、と、ルームミラーを指差す。

そして時は7年後。
ビルの上階からカメラを構える男がいる。
彼はニコラス。
あるスクープの依頼の電話を受けている。
まさにはじめの夢の場面そのものである。

だがここからが現実。

そしてオープンカフェにはロールと、迷彩柄の服を着た女が密会。

街角には蛇のビスチェの女優のポスター。

ロールからある物を受け取った迷彩柄の女は席を立ち、彼女と別れて歩き出す。

そこに例の強盗二人組みが迷彩柄の女につかみ掛かる。
激しい言い争いの後、二人組みはトラックを見据えて彼女を突き飛ばす。

彼女は転倒。

そしてそこにトラックが。

運転手はルームミラーに飾ったクリスタルガラスの光に視界を奪われ大きく旋回。

二人組みに追突、そして彼らは絶命。

危ういところで一生を得た迷彩柄の女は実はビスチェの女優だった。
ロールから受け取った品物は、定かではないが、
きっと、すり替えた本物のビスチェではないかと思う。

その様を呆然と見ていたロールはその場に座り込む。

そこにニコラスが。

そうこういう結末が待っていた。
出会うべくして出会った二人は、恋に落ちた。

ロールによって再出発の決意が出来たリリー。
ロールはリリーの守り神。
そして最後には、リリーがロールの守り神に。
トラックのクリスタルガラスが運命を分けたのだから。

そうこれが全ての結末。
まあ、善が勝ち、悪が滅びたとでも言うべきか。

悪女伝説の始まりの危機の回避と、罪悪感から続く正当な道の選択。

そうショックだと思って、
観るのを後悔した瞬間に、現実に戻った。
最高のクライマックス


悪女なレベッカも良かったけど、あれではあまりにもバンデラスがかわいそう過ぎる。
そう思っていたので、この終わり方は納得できた。

劇中、別の部分で印象深かったのが、
場面場面によって使い分けているバンデラスの英語。
なめらかに話す時もあれば、なりすましに思いっきりスペインなまりの強い発音。
かなり印象に残った。

そしてレベッカの名演。
素晴らしい。
この作品ですっかり彼女の虜になってしまった。

一言で言えば、素晴らしいキャスティングによく出来たストーリー。






フォーエヴァー・ロード 

1992年 米
監督:エドワード・ズウィック
出演:メグ・ティリー
            クリスティーン・ラーチ 
   

女同士の友情、男同士の友情もありだが、
いつになっても、友情を題材にした作品に私は弱い。
しかもロードムービー。
原題の『Leaving Normal』がなんとも解放感を感じるのだ。
二人はノーマルという名の町を出て、アラスカの地に向かう。

暴力的な夫に悩まされつつも自分は幸せな生活を送っていると思い込もうとする、
メグ・ティリー演じるマリアン。化粧っ気なしの素顔に地味な装い。
それでもどことなく漂う美しさ。これこそ素の美しさなんだなあと感じてしまう。

メグ・ティリーは私の大好きなジェニファー・ティリーの姉。
ジェニファー同様美しい。
だがメグ・ティリーの出演している作品はこの作品しかまだ見たことがない。
機会があったら彼女の出演作をいろいろと鑑賞したい。

一方、酒場でウエイトレスとして働くダーリーは、自分の生活の平凡さから抜け出したいと、
常日頃思っていた。
ダーリーはブロンドのショートカーリーヘアー、
セクシーで派手なファッションに身を包む活発な女性。

ふとしたことから二人は出会い、お互いに影響し合いながら、心を開いていく。
そして希望への旅へと出発する。

メグ・ティリー演じるマリアンのどこからも感じるピュアな可愛らしい仕草がすごく自然。
平和主義で、心優しい、争いを嫌うマリアンが、
初めて、夫に対して電話越しに取り乱し、乱暴な言葉を使うところは、
唖然とする反面、つい笑ってしまう。

さっぱりとした男っぽい性格のクリスティーン・ラーチ演じるダーリーは、
言い寄る男性をさらっとかわしたり、その言葉使いや行動は実に爽快。

アラスカへの二人の旅。
それは平坦なものではなく、彼女達は幾度の困難にも立ち向かっていく。
それは二人の代えがたい友情と、自立、そして自由への情熱。







フォーチュン・クッキー

2003年 米
監督:マーク・ウォーターズ
出演:ジェイミー・リー・カーティス
    リンゼイ・ローハン

ちょっぴり切なくて、心があったかになる、
女の子を主人公にしたコメディがやっぱり好き。

音楽が好きでいつでもマイペース。
自分である事を大いにアピールできる、
はじけちゃってる今時の女の子、
リンゼイ・ローハン演じる娘アンナ。

教育熱心で少々お堅い精神科医である、
ジェイミー・リー・カーティス演じる母テス。

こんな正反対の二人が突然入れ替わってしまったら。

ストーリーからしてとても引き付けられるこの作品。
そしてテンポの良い展開と、
繰り広げられる楽しいエピソードは
思わず声を出して笑ってしまうほどだった。

この作品で特に見入ってしまったのが、
ジェイミー・リー・カーティス。

ジェイミー・リー・カーティス。
シガーニー・ウィーバー。
カーチャ・リーマン。
私が特にかっこいいと思う女性。
知的で聡明、スラッと伸びた美しい姿勢。
クールな美しさ。

この作品の母本来の性格を持った役柄と、
娘の心に入れ替わった役柄が、
見事にがらりと変わってホントにおもしろい。

そして同時に本来の母のカチッとした地味なスーツに
娘の心で変わる派手でセクシーな総合ファッション。
これも一つの見所だと思う。
どちらもホントに良く似合っていてすごく素敵なのだ。

キャッチーなポップロックに
とびきりキュートな女の子
そして原色に繰り広げられる学園生活と、
暖かい家族。

そんな私の好きなキーワードがいっぱい詰まった、
とっても楽しい作品。






フライトプラン

2005年 米
監督:ロベルト・シュベンケ
出演:ジョディー・フォスター
ピーター・サースガード


ジョディ・フォスターの出演作品は、久しぶりに観たが、
やはり彼女の素晴らしい演技には圧倒されるものがある。

夫を亡くしたジョディ・フォスター演じるカイルは一人娘とともに、
アメリカへ向う飛行機の中にいた。

複雑な心情を抱えつつ、少しの眠りに身を任せる二人。
と、カイルがうとうとと寝入ってしまった間、
同じく寝ているはずの娘がいなくなっていた。

席を立ち、捜し歩き、乗客や乗員にに尋ねまわる夫人。
だが誰一人として、娘ジュリアを見た者はいなかった。

不信に満ち溢れた機内。

母は、娘を見つけるために、一人で乗客乗員を全て敵にまわすことも躊躇しなかった。

娘はきっといる。
では、どこに?
何故、娘を見た者は誰一人としていなかったのか。
手がかりはなんなのか。
鍵を握るものは一体だれか。
真実はなんなのだろうか。

いろんな疑問を抱きつつ、物語はあっという間に終盤にさしかかった。

娘を守るため、懸命に強行手段を取り続ける母の姿は、
何も恐れない莫大な信念、何のも変え難い愛情の元に成り立っていると思わせる。
俊敏な判断力、ためらう事のない行動力、危険を顧みない実行力、
やはり母親とは理屈抜きで強い存在なのだと思った。

それぞれ、違うタイプの母親ではあるが、
ジェニファー・ロペス主演の『イナフ』や、
シャーリーズ・セロン主演の『コール』を思わせるような、
母の強さをダイレクトに感じる。

取り乱す姿、
訴え続ける姿、
感情を読まれまいとする姿、
我が子を抱きしめる姿、
それらの心情が見事に表現されていて、
ただ、ただ、母親のジョディ・フォスターに圧倒されていた。


無駄のないシーン構成、スピード感のある展開が更に印象深い作品。








ブラックボード・背負う人

2000年 イラン
監督: サミラ・マフマルバフ
出演:サイード・モハマディ
バフマン・ゴバディ

見ているうちにどんどんどんどん引き込まれていく不思議な作品。
この作品は第53回カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞した、
爆撃によって『教えの場所』を奪われた数人の教師たちが、
ブラックボード一つを背負い子供たちに読み書きを教えるために長い道のりを辿るといったストーリー。・

場面は、二人の教師のそれぞれの辿る道を別々に描いている。

サイード・モハマディ演じるサイードは、
道中、無言で表情も変えず、黙々と集団移動する老人たちに出会う。
彼らはイラク軍の爆撃によってイランに逃げ込んだクルド人で、
彼らの地であるハラプチェを目指して移動しているという。
報酬を見込んで、ハラプチェまでの道のりを誘導する事になったサイードは、
集団の中に幼い子を連れた女性を見つける。
彼女は未亡人であり、父親は彼女を心配し再婚相手を見つけているという。
そこでサイードは自分が結婚相手に、と。

一方、バフマン・ゴバディ演じるレブアルは、
道の険しい山道で、またも集団で重い荷物を持ち、移動する子供たちに出会う。
レブアルは、自分が読み書きを教えると積極的に子供たちに話しかけるが、
子供たちの反応は冷たい。
だがただ一人、彼に読み書きを習いたいという子供が現れる。

そして二人の教師のそれぞれの物語はゆっくりゆっくりと進んでいく。

自分たちの土地であるハラプチェを目指し、困難にも長い道のりを歩いていく老人たちの、
言葉少ない様や、実に静かながらも強い意志を感じるそれぞれの表情。

ただならね異変に、毒ガスを連想し、恐怖におののく未亡人の描写は、
以前にあった恐怖を思い出してなかなか現実に戻れないつらさがにじみ出ている。

決して美化だけじゃない子供たちのぶっきらぼうな言葉のあおりも効果的で、
教えられた事を連呼する少年の表情にはホントに子供らしい、教師に対する尊敬の念まで伝わってくる。

ホントにイラン映画は、たんたんと、一つのテーマを大切にし、
人物描写や言葉の受け答えが鮮明で、実に作品自体にものすごい芸術性を感じる。

特にこの作品の監督である、サミラ・マフマルバフは実に24歳という若さの女性。

ミニシアター系が多いイラン映画だが、
このイラン映画の素晴らしさは是非いろいろな人に知ってほしい。







ブルー・イグアナの夜

2000年 米
監督:マイケル・ラドフォード
出演:ダリル・ハンナ
    ジェニファー・ティリー


輝くほどに美しいその美貌と完璧なダンスで魅せる女性達。
夜のステージのスターとして繰り広げる舞台は華麗で、その反面切なさが呼応する。

ブルー・イグアナ。
暗闇に映えるクールなブルーのライトはダンサーの心を映し出しているよう。

この作品のヒロインは5人のダンサー達。
そしてブルーイグアナとは彼女達がダンサーとして働くストリップクラブ。

彼女達の完璧なダンスとその美しさがクローズアップされるも、
彼女達の人生をここから見出す事は出来ない。

女性として、女性の心を持って日々を暮らし、
悩み、時に心躍らせ、ときめき、また葛藤し、自分を見つめる。

長いブロンドのカーリーヘアーに、ベイビードールの、ダリル・ハンナ演じるエンジェルは、
ブルーイグアナの看板的存在。
とびきりの美人でクールで華やか。
でも本当の彼女はとても少女のような初々しい心を持っている博愛主義者。
スレンダーな体型に、パステルカラーの少女のようなファッションがとても似合っていてキュート。
時にその優しい心が、自分を弱く追いやってしまう事がある。
彼女は養子を迎え入れる事を望んでいて、
そのためにベースとなる自分の境遇、環境をどうにか繕おうとしていた。
恋人に裏切られ、なんとか望んだ適性面接にも、
自然体で、全く計算のない素直な回答から、
彼女の心からの養子に対する愛情が逆に伝わらない結果となってしまった。
でも前向きに過ごそうとするエンジェル。

印象に残っているシーンは、
大都市に大きく掲げられた自分の大型看板をバックに写真を撮ろうとするエンジェル。
どうにか自分と看板が一緒に上手くおさまるアングルを探すがなかなかうまくいかない。
と、そこに警官が現れ、彼女はその警官に撮影を依頼する。
撮影してもらって満足のエンジェルだったが、その直後、車内のマリファナが見つかり、
事情聴取ということになってしまった。
必死になんとか大目に見てもらえないかと説得するエンジェルだが、それも空しく。
彼女は養子を迎える自分の経歴を一番気にしていた。
前科があっては子供を迎えられない。
その後数日して面接官が彼女の元を訪れるが彼女は閉ざしてしまっていた。
だがエンジェルは前向きに生きる。

突然届く大きな花束や高価なドレスに心躍らせ、まだ見ぬ理想の男性を胸に思い描き、
今宵もダンサーというもう一人の自分を表現する。

自分の部屋の真っ赤なハート型のベッドを子供に使わせるのかとジャスミンに指摘されるも、
逆にすれば宇宙船のようになると自信たっぷりに語るエンジェル、
住み着いたねずみの駆除に心を痛め、エアコンの掃除をしないことを指摘され、
どうにかエアコンごとジャスミンに預かってもらえないかと懇願するエンジェル。
悪気のひとつもない純粋無垢な彼女がとても心に印象付く。

一方、クラブ・ブルーイグアナのワイルドガールの、ジェニファー・ティリー演じるジョー。
エナメルのハードなボンテージファッションで、ワイルドで奔放なダンスを披露する。
とがった性格と自分を見せないという断固たる意思のようなものが彼女に仮面をつくっているように見える。
変わりない日常をどうにか保とうとするジョー。
ダンスしている最中に錯乱状態になったり、
日常の生活の一瞬一瞬を必死に混乱する気持ちと態度を抑えて、
心に余裕を感じさせない迫真の演技が、切なくなった。
クライマックスで、ジェシーの優しい歌に包まれてやっと訪れている平穏を感じながら目を閉じるシーンは、
見ているこちらまで気持ちが和らぐような感じがした。

また、オリエンタルな雰囲気漂うクールなサンドラ・オー演じるジャスミン。
彼女は私生活でもクールに生きながらも、心を表現するという才能に溢れていた。
詩を綴り、毎週ポエムの朗読会に通う。
自ら書き溜めた詩集を持って通うものの、発表する事を断固として拒んでいた。
だが同会会員の誠実な男性に促されるようにして始めて朗読会にて発表。
会員たちの評価もよく、ジャスミンはますます自身をつけていく。
そして同時に彼に惹かれるようになる。
彼との恋に心ときめかせるジャスミン。
だがそんな夢のような日々も、クラブオーナーの一言で、自分で閉ざしてしまう事になる。
夜の世界に舞うジャスミン。
傷心の心と恋心を封じ込める無感情な表情で、いつもより強いメッセージを込めて、
別れの意思を彼に伝える。
作品中最も悲しくて切なくてやるせなさを感じるシーン。

そしてシーラ・ケリー演じるストーミー。
物静かなイメージが洗練された女性を窺えるイメージのストーミー。
彼女のダンスはミステリアスで、何か秘めたものがあり、何かを訴えかけている。
時折見せる寂しげな瞳。
氷のような冷たさ。
それはやはり封じ込めようとした彼女の思いの過程。

どことなく媚びることで、自分を守ろうとする姿勢が窺える、シャーロット・アナヤ演じるジェシー。
彼女は若く、自分の居場所を懸命に保とうとしているように見える。
彼女の夢は何なのか。
夢のために彼女はどう動こうとしているのか考えさせられる。
恋人に騙され、見に覚えのない暴力、それでも彼女は、夜のステージに舞う。

それぞれのダンサーが、それぞれの日常、それぞれの人生を、必死に守ろうとして生きている。
それが不器用でも報われなくても彼女達は前に向いて進もうとする。
女性の弱さ、強さ、
日常の些細な物事へ対する心の動き。
何より彼女達は一人の人間として、一人の女性として、
一日を平穏に過ごす事を望んでいる。

現実世界の中でのやるせない思い、
ただ直向な想い、
心躍らせる瞬間、
決して失う事のない希望。





プルーフ・オブ・マイ・ライフ

2006年 米
監督:ジョン・マッデン
出演:グイネス・パルトロー
アンソニー・ホプキンス

数学者で天才と称された父とその娘。
天才が故、とでも言えようか、
晩年は精神に異常をきたした父、
ともに暮らしてきた娘の複雑な心が表現された作品。

物語は父の他界から数日間の出来事を回想を交えて綴っている。

偉大なる父の才能と性格を受け継いだ事に葛藤を覚え、
情緒不安定な面が伺える娘、キャサリンを演じるのはグイネス・パルトロー。
知的なイメージが強い彼女、この作品では微妙な心の内を、
自然に、また良い意味で不自然に、見事に表現していると思った。

感情を覗かせない尖ったような表情や、
子供っぽさと異端さを交えたような口調と佇まい。
見ているうちに、彼女が適役だと何度も思うほどだった。

喜怒哀楽のほとんど感じさせない冷静さ、
それは彼女の性格からくるものだと思わされるのは、
彼女の、父の他界に、一切感情を現さないような態度で見た。
いや、無感情なのではなく、その現されない感情は、
父に対する深い深い心のつながりだと感じる。
誰よりも父を愛している強い想いが感じられる。


その父を演じたのは名優アンソニー・ホプキンス。
言うまでもなく圧倒的な存在感を放つ彼の出演シーンは少ないが、深い。
あらゆるシーンでその深さを思い知る。

そしてキャサリンのボーイフレンド、ハロルドを演じたのがジェイク・ギレンホール。
最近注目の若手俳優である。
若き数学者を演じたジェイク、
この作品では、何から何まで知的で真面目な青年に映る。
数学論を述べるのにも、バンドでドラムを叩くシーンにも、
同じ真面目さが伺えるのが徹底されているなと思った。
そして何より、心から素に湧き出るような優しさが印象的だった。

あまり類を見ない種のテーマを扱った作品だと思った。
それだけに深い。
淡々と綴られるが見ているうちに惹きこまれた。
心理描写に富んだ作品だと思った。








ブレイヴ・ワン

2007年 米
監督:ニール・ジョーダン
出演:ジョディ・フォスター
テレンス・ハワード

氷のような冷たい表情、
その瞳は何を見ているのか、
その心は何を思うのか。

悲しみと絶望の中にはどんなエネルギーもその先を見出す事が出来ず、
ただ何もかもを無に変える。
ただ眠りたい、この絶望から逃げたい、
泣き叫ぶという行為すら暗闇を前には弱り果てた視線に変わる。


許されざる行為に身を投じ、彼女はそれを自分の中の見知らぬ他人と呼んだ。

ジョディ・フォスター演じるエリカはラジオの人気DJ。
優しい恋人との結婚を控えたエリカは、
ある夜、恋人と飼い犬と共に夜道を歩いている時、暴漢に襲われる。
何の罪のない、彼らと何の関わり合いのない二人は、利己極まりない暴力の犠牲になった。
恋人は他界、エリカは瀕死の重傷を受け、3週間の眠りの後、生還した。
彼女が意識不明の3週間の間に恋人の葬儀は行われ、彼女が目覚めた時には、
愛しき恋人の姿はもうなかった。

体と心に多大な傷を受けた彼女は、警察にその捜査の全てを委ねるが、
その対応の悪さに居た溜まれず、ある日、まだ何の決心もしない内に銃を取り扱う店へ。
だが、銃刀法のせいですぐには銃を手に入れることができない。
申請書の交付まで30日はかかるという。

「30日!そんなに生きられないわ。」

店主に悲痛に投げかける彼女のその言葉は、切実に心に響いた。
彼女が店を出ると見知らぬ男が銃の密売を持ちかける。
エリカは銃を買う事に即答し、そして彼女は銃と共に歩く事になった。

この時点での彼女の心はどうだったのだろう。
復讐、その言葉が一番多くを心に占めていたのかもしれない。
だが銃を手に入れたものの、実践する揺るがぬ決意はまだ固まってなかったのではないかと思う。
好きな街、世界で一番安全な街がある日突然恐怖に変わる。
人の歩み寄る音、街の全ての音が突然恐怖に。
復讐したいという変えがたい自分の意思を抱えつつも護身のつもりだったのかもしれない。


だが、ある日コンビニ強盗に出くわし、身を危機にさらされ、彼女は持っている銃で犯人に発砲する。
それは正当防衛だった。
犯人は自分の妻を何のためらいもなく銃殺し、出くわしたエリカをも殺すつもりだった。
悪漢。
その場を流れるように去った彼女は、自分の手で人を殺してしまった絶望感に苛まれる。

だが、彼女の心の中には、彼女の正当防衛の大きな防護の感情があった。

その後、彼女は地下鉄にて、二人の若者が、
自分の欲望のままに、同じく若者の乗客をからかい、親子を脅し、楽しんでいるのを目にする。
乗客は逃げるように地下鉄を降りたが、エリカは降りなかった。
そのうち二人はエリカの存在に気付き、彼女を面白半分に脅す。
その瞬間彼女は二人に発砲。二人は絶命した。

またもや流れるようにその場を去ったエリカ。

もうこの時点で、人を撃った自分の手に震えを感じることはなかった。

その後も、彼女は前科のあるものを制裁し続ける。
若い少女を監禁し、自由を奪い暴力を働いた男。
自分の妻に発砲し、あらゆる密売に手を染め利己的に生きる男。

制裁するかのように殺人を犯す彼女、
その表では、彼女はラジオに復帰し、自分の感情を交えた朗読でリスナーの心を掴む。
ラジオでは自分の起こした制裁を意する連続殺人も取り上げた。
その間テレンス・ハワード演じるアーサー刑事に出会い、
彼の、ほかの刑事とは違う正義感と優しさに友情を覚える。
アーサーもまたエリカに惹かれるのだが、次第に感づく彼女の信じたくない行動に一人悩む。

凍ったような心と表情をなくした瞳で次々に悪人を殺していくエリカ。
冷徹で残酷?
いや、私にはそうは映らなかった。
愛する人を失って行き場のない悲しみを抱え、蘇るのは恋人の優しい仕草や温もり。
髪をなで優しく抱きしめるその温度をもう感じることは出来ない。
その途方もない悲しみは表現する事すら苦しみとなり彼女の心を襲うのだ。


罪のない人々を命の危機にさらしたり、心に衝撃的に残る傷を残す悪人がいる。
彼らに人を傷付ける権利がどこにある?
憎むべき犯罪を犯すのが彼らなのだ。

制裁を与えているのではない。
彼女はそういった人間が憎いのだ。
許せないのだ。

ある夜にコンビニ強盗を撃ったときから彼女の中のためらいは消えていた。

ある日彼女と恋人を襲った容疑者が割り出される。
マジックミラー越しに犯人を割り出すことを要求されたエリカ。
その中には確実に覚えのある顔があった。
だが彼女はこの時点で彼を容疑者と特定しなかった。
何故?
言うまでもなく彼女は自分でその手で復讐を決めていたからだ。

殺人を犯してしまっている自分。
そしてその心に開いてしまった穴はもう塞がらない。
もうもとの自分には戻れない。
恋人と過ごしたあの日に帰りたい。
あの時何故地下鉄を降りなかったのだろう。
様々な思いで頭の中が騒がしくなる。

自分達を襲った犯人の居場所を掴んだとき、
彼女は自分の犯した罪を告白し、覚悟を決めるが如くアーサー刑事に連絡する。
断末魔のような復讐の念で犯人への復讐のチャンスを狙うエリカ。
一方アーサーは彼女を止めるために車を走らせる。
アーサーが駆けつけたとき、今まさにエリカは銃口を犯人に向けていた。
邪魔しないでといわんばかりの切ない表情。
その時アーサーはエリカに銃を捨てろと言い、自分の銃を彼女に差し出す。
「撃つなら合法の銃で撃て。」
その言葉の意味は彼女の復讐を認めたも同じ事だった。
彼女はアーサーの銃を手に命乞いする憎むべき犯人に有無を言わさず発砲し彼は絶命した。

アーサーはエリカの復讐に加担した。
アーサーは今までエリカが持っていた9ミリの銃で自分の肩を撃てと促し、
出来ないとためらうエリカに強く発する。
連続殺人の犯人は居なかった。
それはチンピラ同士の抗争だった。
現場に駆けつけたアーサーは犯人に撃たれ、正当防衛で犯人に発砲した。
それでいいんだ、と。
アーサーの肩を撃ったエリカの心は今までに感じなかった胸を締め付けられる感覚があった。
そして震える手。
今まさに自分が生きているという感覚を感じたのだと思う。
こうしてエリカの復讐は終わった。
だけど彼女の心に開いた穴はそのまま、もう戻れない。
彼女が呼んだ、自分の中の知らない他人。

彼女の悲しみが切実すぎてそれはアーサー刑事の心をも変えてしまった。

人は踏みとどまることが出来るが、頭の中、心の中の歯車が狂ってしまえば、
自分の思いもよらぬ方向へひたすら走ってしまう。
悲しむべき現実。
人をそうさせるのは紛れもなく愛なのだと思う。
愛を失って途方に暮れる。
心が引き裂かれる現実に立ち向かう、立ち尽くす。
冷静でもなんでもない。
心は悲鳴を上げ、誰かに止められるのを待っている。


エリカを演じたジョディ・フォスターに強く心を打たれた。
愛を失った無の心。
彼女の表情、些細な行動の一つ一つに感じる悲しみは多大なものだった。
大げさな感情ではなく、人はこうして悲しみの感情を無にしてしまうという心理状態が良く映った。
また、更に、サウンドトラックとなる美しい曲の意味とのサラ・マクラクランの歌声がエリカの心情を切なく彩っている。
痛いほど伝わる、この言葉に尽きる。
どうしようもなく深い悲しみがこれほどまでも伝わってくる。













ブロークバックマウンテン

2006年 米
監督:アン・リー
出演:ヒース・レジャー
ジェイク・ギレンホール

心が切なくて、
胸がしめつけられる。


静かに淡々と綴られる愛の物語は、
こんなにも、こんなにも
重く圧し掛かるように心に伝わってくる。

人を愛する事がこんなにも切なくて、
愛する人を思う事がこんなにも苦しい。
そんなことをこれほどまでに感じた作品は、
今までなかったような気がする。


ヒース・レジャー演じるイニスとジェイク・ギレンホール演じるジャックは出逢った。
ブロークバックマウンテンで。

ブロークバックマウンテン。
彼らだけの場所、
そして彼らにはこの場所しかなかった。

ユーモラスで活動的なジャック、
そして寡黙なイニス。
初めて出逢った二人はなかなか心を通わせる事はなかったが、
ともに仕事をするうちに、
次第に友情が芽生えていった。

無邪気で不器用な二人。
いつのまにかお互いに大切な存在だと気付くとともに、友情は愛情へと変わった。
衝動的で純粋な二人の愛。
心に閉じ込めようとすればするほど二人の愛は燃え上がっていく。
やがて二人はブロークバックマウンテンを出るときを迎える。
心に秘めて別れを告げる二人だが、
互いを想う気持ちは治まることはなかった。

だが二人はそれぞれの道を築き始める。

恋人アルマと結婚し、二人の子供を授かり、幸せな家庭を築いたイニス。
一方ジャックもロデオ大会でラリーンに出合い、子供を授かり、家庭を築いていた。

だが、仕事に追われ、妻との仲たがいが生じ、何かを見失いそうなイニス、
ラリーンの家業のせいで、どこか肩身の狭い思いをして日々生活するジャック。

平凡で幸せな暮らし、確かにそうなのだが、
心の中は空洞だった。
想うのはブロークバックマウンテンでの事。

ある日、二人は再会するときを迎える。
狂おしいほどに愛を確かめ合う二人には、確かに真実の愛の姿があった。
それから20年以上にもわたる二人の愛と葛藤の日々が始まる。

機会を見つけては二人の時間を大切に大切に過ごす二人。
愛する人に会える喜びとともに襲うのは隠しようのない不安。

保守的な時代での二人の愛は許されるものではなかった。

それはイニスが幼い頃に目にした、
同性愛者の無残な最期のトラウマがそう思わせていた。

愛した人が同性であった。

そこに愛を確かに感じ、二人で育み、二人の暮らしを大切にしていただけ。
だがそれが周囲には認められず、悲しい結果を招いた現実。

そしてイニスとジャック。

愛した人が同性であっただけ。
それは確かに純粋な愛なのだ。
性を超えた愛の真実性を強く深く感じた。


悲しくて切なくてどうしようもない思いがこみ上げる。

美しい映画。
そう思った。
壮大な山々、鮮やかな緑、自然の生み出す美しい景色に、
二人の長い長い愛の物語は、
優しい、時に切ないカントリーのメロディにのって。






プロヴァンスの贈り物

2006年 英、仏
監督:リドリー・スコット
出演:ラッセル・クロウ
マリオン・コティヤール

芳醇なワインが漂うベージュ色に満ちた風景には、
常に変わりのない日常があり、
その不変さが唯一の美しさであるように思える。

ワインという密着したライフスタイルを織り込んだ作品は、共通する何かがある。
それは人生を魅せる魔法と、人との出会いと愛。

ラッセル・クロウ演じるイギリスで有能トレーダーとして成功したマックスは、
叔父の訃報により、渡仏。
叔父のヘンリーのシャトーとブドウ畑を売却する目的だった。

少年時代のマックスは、夏になるとヘンリーのラ・シロックで、
ヘンリーと共に休暇を過ごす。
ヘンリーの生き方は、共に過ごす時間の中で、着実にマックスの心に何かを残してきた。

だが、年月が経つごとに、マックスは叔父と疎遠になり、
ラ・シロックでの想い出も薄れかかってきていた。
そんな頃の叔父の訃報。

自己中心的で独断的なマックスは、即売却の手配に。
だが、想い出のラ・シロックの様々な風景が、マックスの心に変化を与える。
いや、変化というよりむしろ、自分に戻る機会を与えるといった方が妥当かもしれない。

仕事の不備で停職処分となったマックスは、すばらくラ・シロックで休暇をとることになったが、
少年時代から叔父を手伝ってきたデュフロ夫妻、
そして運命的な出会いを果たしたファニー、
ヘンリーの娘と名乗るクリスティ、
彼らとの時間を過ごすうちに
マックスの休暇は運命の休暇へと変わっていくのだった。

ファニーとの恋、
ラ・シロックへの想い、
そして何より叔父ヘンリーに対する愛。

愛してくれる存在を愛していた。
でも愛していると伝えられなかった。
叔父に対する深い愛情を伝えなかった事に悔いる姿は、
本来のマックスそのものだった。

成功を手にし、世界を見据えた余裕すら感じられるマックスの仕草や言動には、
スタイリッシュなかっこよさを感じるが、
何故かその逆に、滑稽さが際立つ。
ユーモアが余裕であり、その先の計算違いをまた余裕と見せる姿が滑稽で人間味がある。

大都会に生きる、スーツでカチッと決めた仕事人間のプレイボーイが、
子供の頃に過ごした美しい風景と人々の心に再会し、
柔らかく、包容力豊かな、優しい表情に戻っていく。
一人の女性を愛し、触れ、共に微笑むその姿はなんとも美しいのだ。

子供の頃の記憶というのもは、大人が思う以上に鮮明であり、
それは、大人になって初めて気付く新鮮さがある。
大人になって初めて気付く重要な人生への鍵や、素敵なエッセンスがこめられている。
セピア色の想い出が人生に華を添える。






ヘアスプレー

2007年 米
監督:アダム・シャンクマン
出演:ジョン・トラヴォルタ
ニッキー・ブロンスキー

作品序章から、主人公トレーシーの弾ける魅力が光る歌声と、
爽やかさの中にも一癖も二癖もある街の状況がシニカルに描かれ、
これからはじまる素敵なシンデレラストーリーに心が躍る。


しかし、主人公トレーシーを演じたニッキー・ブロンスキーはなんて可愛らしいのだろう。
ビッグサイズの体から溢れ出すパワーには圧倒的な元気をもらえるのだ。
キレのある軽快なダンスとキラキラ輝くような歌声に目が離せない。

舞台は60年代のボルチモア。
人種差別が根強いこの時代。
16歳のトレーシーは、親友のペニーと一緒に、
夕方4時のローカル番組、コーニー・コリンズ・ショーを見るのを一番楽しみにしている。
夢は得意のダンスで有名になること。
そこにコーニー・コリンズ・ショーのダンサー募集のグッドニュースが。

迷うことなくオーディションを受けようときめるトレーシーは、母に打ち明ける。
トレーシーと同様ビッグサイズのママは、彼女のためを思ってオーディションに参加することを止める。
だが、トレーシーの熱意を父親が認め、晴れてオーディションを受けることに。
翌日スタジオにあわられたトレーシーに、
番組の部長を務めるベルマはトレーシーの実力を認めず一存で追い出してしまう。
失意のトレーシーだが、学校の教室で踊っているところをコリンズ・ショーの花形リンクが見かけ、
女の才能を見出しもう一度スタジオに来ることを提案。
憧れのリンクに声をかけられたトレーシーは夢見心地でもう一度スタジオへ訪れる。

得意のダンスを見せ付けるトレーシーに共演者や視聴者も一同に惹きつけられ、
あっという間に彼女はコーニー・コリンズ・ショーのダンサーの仲間入りを果たした。
これには親友のペニー、母のエドナも父のウィルヴァーも大喜び。
だが、ショーのミスヘアスプレーの座を守り続けるアンバーとその母である前述の番組の部長を務めるベルマは猛反感。
あの手この手で彼女のスターへの階段を阻止しようとする。

この作品、なんと言ってもオールスターの魅力。

母親を演じるのはなんとジョン・トラヴォルタ。
古風で上品な母親エドナ。
彼女の一つ一つの仕草の中には何気な女性らしさが光り、口調や視線などもソフトで優しく、可愛らしい。
そのエドナを演じているのがジョン・トラヴォルタなのだから驚きだ。
もともとミュージカルスターのトラヴォルタだからダンスの腕は抜群。
だが今回は女性らしいダンスということで細かいところまでの役つくりに圧倒される。
彼の声は元からソフトなため、その上に彩られる女性らしい口調も乗って全く違和感がない。
見た目の面影もあるし、見た目はトラヴォルタなのに、その女性はビッグサイズで心優しく、可愛らしい
母親エドナという素敵な女性像なのだ。
娘のトレーシーとともにピンクのドレスで歌い踊るシーン、クライマックスでのダンスシーンはまさに拍手喝采。

そしてトレーシーの父親ウィルヴァーを演じたのがクリストファー・ウォーケン。
彼もまたミュージカルスターであった。
硬派でクールな印象のクリストファー・ウォーケン、彼がミュージカル出身であるということは、実際あまり知られてなかったらしい。
だが、記憶に新しい英国のデジタルサウンドの新鋭として現われたファット・ボーイ・スリムの,
「weapon of choice」のミュージックビデオの最高のダンスパフォーマンスを思うと非常に納得である。

夜の野外で妻エドナと一緒にダンスするシーンは、
クラシックのミュージカル映画の中のシーンのように感動的で感慨深いものがある。

一方番組部長ベルマを演じるのはミシェル・ファイファー。
妖艶な美しさと皮肉たっぷりの演技は、実にコミカルで、
彼女の新しい魅力を再発見といった感じなのだ。彼女もまた艶やかな歌声とパフォーマンスを見せており、
その美しさには目を瞠るものがある。

さらに印象深いのが、ショーのブラックデーを担当するパフォーマーのメイベル。
演じるのは『シカゴ』でのママ・モートン役が非常に印象的だったクイーン・ラティファ。
彼女の存在自体がまさに魅力そのもの。
その美しさと強さには強烈に弾かれる魅力が存在する。
パワフルでセクシー、
包容力にあふれているその姿は女性があこがれる女性の条件をすべて満たしているように思える。
彼女のパフォーマンスもまた素晴らしいの一言に尽きる。

若手俳優もすべて実力揃い。
中でも注目なのが、『ハイスクール・ミュージカル』のザック・エフロンだろう。
60年代のクールな男の子の再来、
ウエストサイド・ストーリーでステップを踏み鳴らす若さ溢れるフレッシュな青年イメージがまさにぴったりである。
中でも作品中の彼のパフォーマンス、
「Lady's coice」は彼の魅力が存分に引き出され、実力を大いに見せ付けてくれる。

人種差別という社会問題を背景に生まれるシンデレラ・ストーリー。
だがそこには悲観的な印象はなく、新時代、トレーシーの言うニュー・フロンティア時代への、
何も恐れずに正義を貫く、理不尽な社会への平和的訴えを実に爽やかに、それでいて力強く表現している。

すべてがキラキラと鮮やかに、カラフルにポップに映る素敵なエピソードが、
出演者それぞれの個性溢れるパフォーマンスに彩られ、
最高に素晴らしいミュージカル映画になったこの『ヘアスプレー』、
たくさんの人に見てほしい、こう思わせてくれる最高傑作的な作品なのだ。






へイヴン

2004年 米
監督:フランク・E・フラワーズ
出演:オーランド・ブルーム
ビル・パクストン

愛憎が絡み合い、交差するストーリーが、常に緊迫感を与えるのは、
この作品のいい意味での、不安定で暗い闇に突き刺さる青い光のような鋭い映像なのだと思った。

登場人物の心情、痛切な想い、悲しみがひしめき合う、なんとも言い難い切なさが印象深い。


ビル・パクストン演じるカールは脱税容疑で家宅捜索を逃れるため、娘を連れて、
タックスへイヴンのケイマン諸島へ。
一方観光客を乗せる船場で仕事をするオーランド・ブルーム演じる青年シャイは、
ゾーイ・サルダナ演じるアンドレアという少女と恋に落ちるが、
二人の仲を快く思わない彼女の兄の執拗な嫌がらせに悩んでいた。

少なからず多い登場人物は、次第に一つの線で結ばれていく。
その一つの線に存在するのは、愛情、そして憎しみ。
その連鎖は悲しいまでの繋がりを見せ、全てが痛切に心に突き刺さる。

美しいカリブ海のケイマン諸島、その美しさとは裏腹に繰り広げられる愛憎劇は、
言葉が見つからぬほど。

刹那の如く鋭く移り変わるシーンと青く薄暗い閃光の映像効果は、
途方もない不安、絶望などの登場人物の複雑な心情を反映しているようだ。


タックスへイヴンを求めてケイマン島に訪れたカール、
その娘ピッパ。
アンドレアと恋に落ちるシャイ、
彼らを引き裂くハンマー。
彼らを中心に物語に登場する人物は全てが繋がっている。
その繋がりはなんとも切ないとしか言いようがない。

一つの育まれるべき愛にたいしての憎しみが憎しみを生み、それは悲しい結末へ。

この作品で最も印象深いのは、やはりこの作品で製作にも関わったオーランド・ブルーム。
幼い頃に父親を失くし、以後5年間口を開かなかった少年は、母親の愛で自分を取り戻し、
真面目に仕事に取り組み、友と戯れ、恋をする普通の青年に成長した。
真に人を愛し、その純粋な想いを貫くだけだったのに、
ある日彼は愛するアンドレアの兄ハンマーに薬物を顔に投げかけられ、顔に一生の傷を負ってしまう。
それから彼の人生の歯車が狂っていく。
美しく青い海のような青年の心が憎しみに襲われ、だんだんと別人のようになってしまう、
しかし、本来の人間性は持ちつつも、
自分でも予想しがたい行動に出てしまう絶望を感じさせるオーランド・ブルームの演技には圧巻だった。

一方アンドレア父と兄の猛烈な反対でシャイとの関係を絶たれ、自暴自棄に走る。
一つの純粋な愛は、真っ二つに裂かれ、二人とも転落していくのだ。
何とも切なく、今後も続く闇がシャイに覆いかぶさるのを感じる彼の後姿。
だが、彼が漕ぎ出すボートの先の青い美しい海が、少なからずの可能性を秘めているように見えた。

救いようのない悲しいストーリー。
憎しみは人を思いもよらぬ行動へ駆り立てる

このような愛憎のもつれは、いつどこで起きてもおかしくないような絶望を感じる。
これらを回避するには、やはり人を理解する心、利己的な観念を捨てる心が大切なのだと思った。










ボーイズ・ドント・クライ

1999年 米
督:キンバリー・ピアーズ
出演:ヒラリー・スワンク
    クロエ・セヴィニー

この映画を見終えて、しばらく疑問の嵐だった。
何故、こういう結末になってしまったのか?
この作品は1993年に実際に起こったアメリカ、ネブラスカ州の
「ティーナ・ブランドン事件」
をベースにしてつくられた作品である。

この作品でブランドン・ティーナ(ティーナ・ブランドン)を演じたヒラリー・スワンクは、
公開年の1999年、アカデミー賞、主演女優賞を受賞した。

未来は、希望に満ちて、愛する人さえそばにいれば、
どんな困難にも乗り越えられる。

「この先、不安だけど、君を想えば生きていける。
君を待っている
永遠の愛を込めて、ブランドン」

逆境を乗り越えて前向きに生きようとするブランドンの言葉が
何度も何度も耳に響いている。

強がって見えてもココロは常に不安が潜んでいた。
ある程度の「悪さ」ができる仲間、
出会うべくして出会った最愛の人。

従兄のロニーのいる生暖かいリンカーンを出て、
ブランドンはフォールズシティーに至る。

そしてブランドンの希望、輝かしい未来は、そこであっけなく泡の如く消えてしまった。

ブランドンは性同一障害を抱え、それを乗り越えるために男性として生きる事を決意。
序章にブランドンがロニーに散発をしてもらっているシーンが目に焼きついている。
「もっと短く!」
くわえタバコに、「いかにも」と思えんばかりのデンガローハット。
まさしく彼の未来は始まったばかり。
希望に満ちていた。

従兄のロニーが猛反対する中、リンカーンに戻らず、フォールズシティーに留まったのは、
彼がそこで何かを見つけたから。

それが最愛の人、ラナ。
そして仲間のジョン、トム、キャンディス、ケイト
彼らは毎日のように繰り出し、ラナの家では母親も友達のように仲良く、みんなでおもしろ楽しく時を過ごした。

だが次第に明らかになっていくジョンの情緒不安定の影。
仲間であって、そこにはそれぞれ言い表しようのない壁のような、靄のような、
その冷たい隔たりを感じていたブランドンは、
懸命に脳裏から振り払おうとしている、と私にはそうに映った。

劇中、最も印象に残っているのは、バーのカラオケで、
ラナ、キャンディス、ケイトが、
「The Bluest Eyes In Texas」を歌うシーン。
ジョンにせかされ、ステージに向かう三人。
ここで面白い描写があった。
カラオケマイクのとスピーカーの不適当な位置によって生じるハウリングを、
無表情に調節するラナとケイト。イントロを逃し、途中から歌い始めるラナ。
この素朴な彼女の動きが妙に心を動かした。

客席で微笑みながらラナを見つめるブランドン。
その表情の中には深い包容力さえ感じる事が出来た。
歌いながら一瞬も目を離すことなくブランドンを涼しく、
そして少しずつ生まれ始めた好意のまなざしで見つめるラナ。

そして二人は愛し合うようになった。

後にラナがブランドンの抱えている障害を知る事になるが
二人の愛は冷めることもなく燃え上がる一方だった。

だが以前のスピード違反が記事になり、仲間たちにブランドンが女性である事が発覚。
それからというものジョンをはじめとする仲間、ラナの母親までもが目の色を変え、
彼を激しく非難。化け物扱いをするようになる。

そしてブランドンは性同一障害を抱えた女性としての最も屈辱的な目に遭う。

心に深く傷を負ったブランドン。
でも彼はラナとの輝かしい未来のために、希望を捨てなかった。

二人でリンカーンに行こうと約束した日、
ラナは迷っていた。
ブランドンは彼女の微妙な心を案じ、自分が先にリンカーンへ向かう事を知らせた。

その矢先、半狂乱になったジョンとトムが、ブランドンが身を隠すキャンディスの家へ襲撃。
ラナも駆けつけ、必死の攻防。
そしてブランドンに対する真実の愛に気付き、
彼に極限の状況の中、一緒にリンカーンへ行くと涙ながらに叫ぶ。
その一言によってジョンは一瞬にしてブランドン、そしてキャンディスまでも銃殺。
そしてすでに息絶えた彼を再びをナイフで刺す、といった酷い執念。

この場面の描写はあっけないほど、はやいタッチで描かれている。
しかし、この効果が悲しい結末を大いに印象付ける。

そう、何故、何故、このような悲しい結果となってしまったのだろう。
消える事のない疑問。

日本という国は実態がどうだか詳しいことは知り得ないが、
私が思うには比較的、性同一障害を抱える人たちには理解がある国だと思う。

だから自由の国、アメリカであっても保守的な町にこういった差別的な観念で、
人間が変わってしまうといった実態が理解できないのである。
そこには人間の愚かさが浮き彫りになり、残るのは空虚な、残酷な結末のみ。


エンドロールではラナ、キャンディス、ケイトがカラオケで歌った
「The Bluest Eyes In Texas」をカーディガンズのヴォーカル、ニナが歌っている。
悲劇を一段と感じさせる中、平穏のようなあたたかいものを感じるのは何故だろうか。
この悲惨な事件が悪い夢であって、ラナがブランドンを追ってリンカーンに着き、
そこで二人は愛情を確かめるように、熱い抱擁を交わし、
それから、やわらかい日差しが差し込む部屋で、あたたかい朝食を二人きりで摂り、
ハイウェイに車を走らせ、二人の希望の出発点となるメンフィスへ向かう、
そんな錯覚まで起こしてしまう。
だがそれこそが夢。

ブランドンがラナに送る愛情のまなざしのみが悲しく目に焼きつく。
それは優しくて深い愛情。










ホーンテッド・マンション

2004年 米
監督:ロブ・ミンコフ
出演:エディー・マーフィー
    テレンス・スタンプ

なんともはやいタッチで軽快に進んでいくストーリーには爽快感さえ覚えた。
おなじみのディズニーのアトラクションである『ホーンテッド・マンション』を題材にした作品だと知って、
果たしてどんなストーリーが込められているのだろうと思っていたが、
時を越えたラブストーリー。
あの奇妙な豪邸と、999人のゴースト。
夫婦で不動産業を営む一家。
なにやら怪しげな執事と主人。
好奇心を沸き立たせるにはもってこいのストーリー設定。

こんなに順序正しくストーリーが進んでいく映画を劇場で見たのはホントに久しぶりで、
ある意味、いろいろなジャンルの映画を見てきて、今、リセットされたようなそんな感じさえした。


コメディー映画の大御所、エディー・マーフィーのコロコロ変わる表情の変化が滑稽で、
その逆に表情一つ変えないテレンス・スタンプ演じる執事のギャップが楽しめた。

そしてこの作品で何気に楽しみにしていたのは、ジェニファー・ティリー。
彼女の大ファンなのだが、実に、スクリーンで彼女を見たのは、
アレック・ボールドウィン主演の「ゲッタウェイ」以来だった。

彼女が演じているのは水晶玉の中にいる、マダム・リオッタ。
顔だけしか見えなかったのは残念だが、妖艶な魅力は健在。
そして劇中なくてはならない重要なキャラクターとなっている。
全てに加えて、声もとびきりキュートな彼女は、アニメーション映画の声優もこなしている。
それは声を聞けばなるほどと思うだろう。

一連のストーリーに、出演陣、ディズニーのアトラクションにかなり忠実な映像マジック。
なんとも後味のよい作品だと思った。





僕の彼女を紹介します


2004年 韓
監督:クァク・ジェヨン
出演:チョン・ジヒョン
チャン・ヒョク


コミカルな描写、それでいて胸をしめ付けるを切なさ。
そのギャップが余計に印象ついて心に響いてくる。
チャン・ジヒョン演じるギョンジンの、本来の心が垣間見れる時、
涙なしでは見られなくなる作品。

ギョンジンは強気で無鉄砲、自由奔放な警察官。
ある日、彼女は、チャン・ヒョク演じるミョンウを引ったくりに間違えて捕まえてしまう。
心優しい青年ミョンウは教師。
いつのまにか二人は恋に落ち、それから二人の滑稽で楽しい恋の生活が始まる。

ギョンジンの突拍子もない言動に振り回されるミョンウ。
二人の交わす会話は滑稽でいてどこかロマンティック。
やることなす事がギョンジンを中心に展開される。
困惑そうに見えたりもするが、そんな生活をミョンウはめいっぱい楽しんで、そして大切にしている。
それが幾つものシーンで実感できて、くすっと笑える半面、小さな感動さえ覚える。
優柔不断そうで、どこか頼りなく見えるミョンウ。
だけど、ストーリーが展開するに連れて、
彼の本来持っているとてつもなく大きな包容力と優しさが浮き彫りになる。

まるで正反対の二人は、常に同じ時を生き、ただ純粋に愛し合っている。
無鉄砲で強気のギョンジン。
ミョンウはそんな彼女のことが心配だった。
捜査に同行したり、彼女が遂行の真っ最中でも駆けつけるミョンウ。
常に危険と隣り合わせという現実、ただただ彼女のことが心配だった。

あるとき二人は旅行に出かける。
広い草原で、二人で風を感じながらミョンウは、
自分は前世はきっと風だった。
生まれ変わったらまた風になりたい。
もし僕がいない時に風が吹いたらそれは僕だと思って。
そう、ギョンジンに言うのだった。
広がる鮮やかな緑の草原にて風に身を任せるふたり。

だがその道中、嵐の中を通り抜けるミョンウの運転する車。
とそこにいくつもの落石が襲う。
車ごと川に転落した二人。
ギョンジンは意識を失ったミョンウを車からだし、岸へと助けあげる。
必死に蘇生を施すギョンジンの姿は、
何の綺麗ごともなくただ愛する人を助けたいと言う気持ちでいっぱいだった。
幸い息を吹き返したミョンウだったが・・・。

その後のある日、ギョンジンの追う事件現場に駆けつけたミョンウは誤って銃で撃たれてしまう。
ミョンウに駆けつけ、必死に名前を呼ぶ。
錯乱し、絶叫しながら無線にて救護を呼ぶギョンジンの姿は、
愛する人を失ってしまうかもしれない恐怖と不安、
信じたくない気持ちでいっぱいだった。

受け入れがたい現実に直面したギョンジンの行動は、
後を追うという事だけの真っ直ぐな瞳で、
まるで何かにとりつかれたかのように迅速で悲劇的だった。
自分のこめかみに銃をつきつけるシーンは、
痛々しいほど伝わってくるギョンジンの複雑な感情に押しつぶされそうになった。

その後何度もミョンウの後を追おうとするギョンジンだが、そのたびそのたびに助かってきた。
自分の身の危険も顧みずに犯人を追い詰める無謀さを貫くギョンジンの瞳には、
想像を絶する悲しみが込められていると思った。

そして「風」・・・。
彼女の周りにふわりと、時に何かを訴えるかのように強く吹く風。
優しく彼女包む風の正体はやっぱりミョンウだった。

幾つもの危険から彼女を守って、
彼女の行く先を心配しているミョンウ。
それは紛れのなくミョンウのギョンジンへ向けた愛そのものであり、
彼女の幸せのために導いてくれるのもやはり彼だった。

前半、ギョンジンとミョンウの生活がコミカルに描かれている分、
このような純粋な愛が伝わる描写や、
切なさ悲しみが一気に押し寄せてくるギョンジンの言動が心に響くのだ。

「僕の彼女を紹介します」
邦題のこの言葉にはミョンウのギョンジンへ向けた大きな愛が込められている。










ホステージ

2005年 米
監督:アーノルド・リフキン
出演:ブルース・ウイリス

マーク・ゴードン

久しぶりに観たアクション映画はこの作品。
上映当時、出演のブルース・ウイリスの愛娘との共演作品との事で、注目していた作品。

ブルース・ウイリス演じる交渉人タリー、
彼が担当する重複した事件、それに巻き込まれた彼自身の家族を救うべく闘いの物語。

アクション、サスペンスならではの緊迫したシーンの多い作品だが、
それ以上に印象的なのは、タリーを演じたブル−ス・ウイリスの役柄だった。
アクション映画につきものな怖いもの知らずの男という堂々とした感じでもなく、
何より現実味が沸くような人間味が垣間見れる。


それは人質にとられた自分の家族を発見した時、錯乱状態を大いに現す様や、
自然とあふれ出す無防備な涙や、
まず自分の家族を優先に考える、ほかはどうでも良いと思わせるような言動から見えてくる。
そして何よりもそれはクライマックスに最高潮に表れている。

それはブルース・ウイリスが、
役の設定である交渉人という仕事が出来る作品中の役柄から、
はっきり出ているものなのだろうなと思った。

この作品で見せたブルース・ウイリスの演じるタリーの人間性は、
『8mm』で見せたニコラス・ケイジの緊迫した演技の中の人間性と似たようなものがあると思った。
この作品の中のニコラス・ケイジの役柄が非常に人間味に溢れている。
それは作品がクライマックスになればなるほど現れてくる。

アクション・サスペンスの中に見せる、
決して強さだけではない人間性というものは、
作品中で大いに表現されると、
それだけ映画のなかのストーリーと結びつきが強く感じられる、
そう思った作品だった。






ホリデイ

2007年 米
監督:ナンシー・メイヤーズ
出演:キャメロン・ディアス
ケイト・ウィンスレット

アマンダ、アイリス、
正反対の性格、暮らし、境遇の二人はある日出会い、
かけがえのない休暇を互いに得る事になった。
ホリデイ、誰にでも休暇は必要で、誰にでもそれはいろいろな意味を持つ。

オンラインのホームエクスチェンジで出会った二人。
キャメロン・ディアス演じるアマンダはアメリカ在住、素晴らしいキャリアを誇る女性だが、
恋人に裏切られ、心に傷を負っていた。
一方ケイト・ウィンスレット演じるアイリスはイギリス在住、彼女もまた曖昧な恋人との関係に終止符を打ち、
新たな一歩を踏み出そうとしていた。
その二人が出会ったのがホームエクスチェンジのウェブサイト。
ホームエクスチェンジとはその名の通り、互いの家や車を全て交換して一定期間を過ごすという提案だ。

二人は互いに条件を気に入って翌日実行に移す。
そうして彼女達の休暇は始まった。

日本ではあまり知られていないこの突拍子もない企画が実際あるという事に驚いた。
でもこの世の中、自分の暮らしをがらりと変えて生き方を見直すのもいいものなのかもしれないと思った。

やはり注目すべきは二人の女性の心理描写や女性ならではの行動や思い。
それはこの作品の中で大いに生かされている。
『ハート・オブ・ウーマン』、『恋愛適齢期』などで見られる女性のそのままの自然体の可愛らしさや素直な思い。
ナンシー・メイヤーズが描き出す素晴らしさを実感する。

キャメロン・ディアス、ケイト・ウィンスレット、
この二人の美しい女優が演じる女性の自然な美しさが何よりも印象的なのだ。

一方男性陣も素晴らしかった。
私生活でも良きパパであると評判なジュード・ロウのパパぶりや、
その真逆を感じさせる隋所に見られる魅力的な表情のギャップは印象的。
そしてジャック・ブラック。
そのコメディセンスも大いに活かされたキャラクター、
それ以上に温かく優しさが滲み出るおおらかな雰囲気が素敵だった。

そしてこの作品には二つのうれしい発見があった。
一つはかなりカメオ出演の大物俳優の存在。
作品中、ジャック・ブラック演じるマイルズがレンタルショップで『卒業』を手に勧めるシーンに、
ダスティン・ホフマンが出演しているのだ。これには驚きだった。

そしてもう一つ。
アイリスがモノクロ映画を鑑賞しているシーンがある。
それこそ、私が最近観た『或る夜の出来事』であった。
クラシック映画に目覚めた今、たくさんの名作に触れたいという思いで少しづつ観賞している。
名作は観るべき、改めて感じた。うれしい発見だった。

この作品で最も印象的なシーンは、
イーライ・ウォラック演じる名脚本家であったアーサーを讃える会の様子だ。
彼を迎えるたくさんの人々は拍手喝采。
アーサーは感無量になり一歩一歩を踏みしめ前に進む。
彼をリードするのがアイリス。彼の手を握るその手は力強く愛に満ちていた。
なんとも素晴らしいシーンであった。

二人は素晴らしき出会いを迎え、それがかけがえのない出会いになった。
人生の素晴らしさのひとつは出会いにあるといえよう。
人は人同士で支えあって生きている。
なんとも温かい、なんとも心に大きく響く影響なのだろうと思った。






ボルベール

2007年 スペイン
監督:ペドロ・アルモドバル
出演:ペネロペ・クルス
カルメン・マウラ

ボルベール(帰郷)という意味に込められた、
女性のいくつもの思いは、強かで美しい。

弱さと孤独、悲しみでさえ、強さに包み込んで歩む姿は、
どの女性にも共通して見られる美しさだと思う。

娘として、母として、そして女として。
一つに抱え、想いと情熱を咲かせる。
原色豊かな映像にはそれが見事に表現されていて、見るものを圧倒させる。

『オール・アバウト・マイ・マザー』、『トーク・トゥー・ハー』に次ぐ、
アルモドバル監督の女性賛歌3部作の最終章であるこの作品は、
最終章にして、最高傑作と評価が高い。

ペネロペ・クルス演じるライムンダは、一人娘と共に暮らす。
ある日、娘が彼女の夫を殺害したことにより、彼女は娘を守るために遺体を隠す。
同時に、彼女の叔母が他界、
そして、更に同時に、亡くなったはずの彼女の母親が突然姿を現した。

数々の謎が交錯するストーリーには、
母と娘、それぞれが抱える悲しみと再生への想いが隠されていた。

本当の父親じゃないと、娘に関係を迫ろうとしたライムンダの夫に、
娘パウラは脅すつもりで包丁を突き出すが、刺し殺してしまう。
衝撃と傷心のパウラは、母の帰りを戸外で待ち、事実を告白。
ライムンダは娘を守るために、遺体を以前働いていた知人のレストランの冷凍庫に隠していたところ、
偶然飛び込んだ撮影クルーのランチの提供の仕事を引き受けてしまう。
仕事場となるレストランの倉庫の冷凍庫に遺体を隠したまま、彼女の忙しい生活が始まる。

ライムンダは、この衝撃的な事実に怯むことなく、
いつもと変わらない明るさを振りまき、忙しく過ごす。
それは愛する娘のためであり、二人の生活のためであった。

そんなときに叔母が他界。
ライムンダの姉ソーレは、叔母の元へ向うが、そこで亡くなったはずの母親と再会する。
半信半疑のまま、母親を自ら経営する隠れ美容院に住まわせるが、
母親との確執のあったライムンダにはその事実を隠したままだった。
後にパウラが気付き、ついにライムンダの前に母は姿を見せる。
戻ってきた母は驚くべき秘密を胸に秘めていた。

母にとっても、娘にとっても悲しい事実があった。
懸命に生きる女たちに降りかかった絶望は、悲しすぎて心が痛い。
同時に憎しみの感情が沸々とわいてくる。

でも女たちはその悲しみを蹴飛ばして彼女たち自身の人生を花咲かせるのだ。
憎しみや償い、許しを乞う気持ちが入り乱れても前に歩む姿勢を捨てはしない。

劇中、ライムンダが、哀愁漂うギターに乗せて「ボルベール」という歌を歌い上げるシーンがある。
ペネロペ・クルスのパワフルで美しい歌声は、こんなにも心を揺さぶり、胸を熱くさせる。
歌うライムンダの頬を伝う涙には、彼女の内に秘められた悲しみと、不安が現れているようだ。
自然と涙がこぼれるのは痛いほどの心理表現の凄さのためだろう。

強く、美しく歩むその心の中には、誰もが弱さを抱えているのだ。

女性は、感情の起伏が男性よりも激しいと思う。
だが、物事に対して常に冷静になれる心を持っている。
それは、自分も驚くほどの冷静さと、暗黙の了解的な当たり前の冷静さの2種類である。
心の中に潜む情熱と冷静さは、こんなにも美しい。








ホワイト・オランダー

2002年 米
監督:ピーター・コズミンスキー
出演:ミシェル・ファイファー
    アリソン・ローマー


美しい母をもつ娘。母はいつもきれいで、誰からもそう思われた。
そして同じく美しい容姿の娘。端から見れば誰もが羨む親子に見える。

序章、アストリッドは、母と暮らした日々が一番良かったと語っている。

誰もが羨む母娘の生活は母が一度自分のルールを破った事で崩れていってしまった。

母はアーティストであり、それは娘の尊敬の眼差しも向けられていた。
娘も絵画の才能に恵まれていた。
母は美しく、プライドも高く、常に自分を持っていた。
そして何より娘を愛していた。

だがその関係は母が描いた理想論でしかなく、狂気に溢れた自己愛であり、全てがエゴだった。

母は、興味がないと言っていた男を、自宅に泊める。
言葉ではそう言っていたが、実は惹かれていた。
二人は関係を持つが、母はあっけなく捨てられてしまう。
そしてついには彼を殺害し、第一級殺人で有罪となり、刑務所に送られることになった。
刑は35年から終身までの禁固刑。
当然、以降の母娘の生活は不可能なものとなってしまった。

アストリッドは児童相談所の職員に連れられ、里親のもとへ。
派手で小奇麗なスター、娘に幼い息子、それにスターの恋人レイ。

生活するうちに、アストリッドはレイに心を開くようになり、淡い恋心を抱くが、
スターはその事に気付きつつあった。
毎日のようにスターとレイはけんか。原因はアストリッド。
彼女の美しさをねたみ、自分の存在に危機を感じていた。
そのけんかを目の当たりにしていた幼い弟は彼女に言った。
「壊さないでね。」
だがそれはあっけなく壊れた。
スターが半狂乱の後、彼女に発砲。

ケガを負ったアストリッドはしばらく施設での生活に。
荒れた生活。
施設では、見に覚えのない事で責められ、売春婦呼ばわり。
人の彼氏に色目を使ったとして罵られ、理不尽な暴力を受ける。

レストルームで、傷ついた心と体で自分を見つめるアストリッド。
鏡の中には、さらっと長いブロンドの髪の美しい自分。
見つめらがら、彼女は無造作にナイフで髪を切り始める。

彼女の表情には後悔も寂しさも不安もない。
潔さだけ。
全てのわずらわしさからの開放のみを望んだ強い意志。
自分の容姿のせいで、何もかも壊れてしまう。
美貌などいらない。はじめの里親一家も自分の容姿が誤解を招いて壊れてしまった。
彼女はそう気付いた。

さっぱりと長い髪を惜しみなく切ってしまったアストリッドは、
昼、暴力を振るった少女の部屋へ行き、彼女の咽喉もとにナイフを突きつける。
今度やったら、寝ているうちに咽喉を切りつける、と。

彼女はこれを期に、変わっていく。

だが施設では出会いもあった。
施設でも常に絵を描いていたアストリッド、いつも描いている一人の女性がいた。
彼もまた絵を志し、二人は互いの才能を認め、惹かれるようになる。
だが二人はすれ違う。

その後新たな里親のもとへ。
子供のいない女優のクレアと夫。
夫は仕事で留守がち、クレアは悲観的で典型的に弱い人間だった。
だけどアストリッドには惜しみない愛情を注ぎ、二人は仲良く生活するようになる。

アストリッドは定期的に母に会いに刑務所を訪れていた。
だが、スターのもとで、洗礼を受けていた事や、
に好意を抱いている事などに滅法、反対のことばかり。

母はクレアとの生活を知り、一度会いたいと申し出るが、アストリッドは反対。
だが、彼女が知らないうちにクレアに連絡を取り、三人で会うことになる。

母はクレアのような弱い人間」と共にいても何も学ぶ事はないと、猛反対。
その後母はクレアとなにやら話した様子。
うなだれているクレアにアストリッドは良からぬ事を言われたに違いないと。

傷心のクレアをおいてまた仕事に行ってしまう夫と言い合いをするが、彼は出て行ってしまう。
翌朝彼女は自殺してしまう。

アストリッドは母に、クレアの自殺を伝える。
そして母に、彼女を言葉の暴力で殺したと言い放つ。
なんの罪悪感も、同情の念も見せない母。
母は、娘を守るためだと常に主張。
だがアストリッドは言う。
敵は彼らじゃない。
私たちが他人を傷つけている、と。

またもや絶望の淵に落とされたアストリッドはまた施設に戻るがには心を開けない。
かれはニューヨークに一緒に行こうというが彼女は聞き耳を持たない。

そしてアストリッドのもとに新たな里親候補の夫婦が。
優しそうな夫妻。何も言う事はないのだが、アストリッドにとっては反対だった。
この優しそうな夫妻を壊したくない。
自分のせいで壊したくはない。

席を立ったアストリッドは窓の外を眺めると、
そこには派手なきつい印象を受ける気難しそうな女性の姿があった。
アストリッドは一目で彼女を里親にしてほしいと。

そして彼女のもとでの新しい生活。
彼女と同世代の少女二人と、ごみとして捨てられた衣類などを売って生活している。

アストリッドはどんどん荒れていく。
ブロンドの髪を真っ黒に染めて、ダークなアイメイクに真っ赤な口紅。
だが彼女はそれでよかった。誰も傷つけずにすむ。 

そして母との面会の時、母は、娘の変わり果てた姿に呆然とする。
そしてアストリッドは母に自分の言いたい事をぶつける。
そしていつも自分が書いている黒いカーリーヘアーの女性の事を母に問う。
無意識に覚えている彼女は一体誰なのか。

母は全てを語りだす。
一度、娘を捨てた事、彼女はその間、アストリッドの世話をしていた女性だと。
そして父親の事も。
そして母は娘に裁判でうその証言を迫る。
もう解放してほしい!アストリッドは心でそう叫ぶ。
だが全てを話した代償として彼女は証言台に立つことに。

全ては母親の歪んだ愛情。
いや、自己愛とでも言うべきか。彼女は娘を愛していた。
それなのに、自分が常に表面に。
アーティストとしての自分を、母親としての自分を慕ってくれる娘への想い。
それは娘への愛情よりも自己愛に浸っている部分のほうが強かった。
常に娘の幸せを願っている。
だがそれは自分の醜い感情を美化しているに過ぎない。
アストリッドが洗礼を受けたのも、に心を開いたのも、
クレアを慕って仲良くなったのも、
全て、自分の娘がよりどころを他に見つけた事による妬みに過ぎなかった。
でもそれも愛情なのだ。

母はうまく表現できなかった。

そしてアストリッドはに再会する。
もう自分に素直にないたいと。

そして裁判の証言の日。
暗い気持ちで室外でと共に待つアストリッド。

だがしばらく経って、陪審員が次々と退廷。

そう、母は、娘の証言を要請しなかった。
彼女の想いが母に通じ、また母の娘への愛情もストレートに伝わった瞬間。
退廷する母の姿を捉えたアストリッド。
母は暖かく娘を見据えて退廷していく。そしてやっぱり美しかった。

自分の恵まれた容姿のせいで傷つけてしまった人達。
壊れてしまった関係。
母の愛情に疑問を感じ、憎んだ日。
それを思ったからアストリッドは、母と暮らした日々が一番幸せだったといえるのだろう。

だけど、真実の愛を見つけた今、母の偽りのない愛情を感じた今、
何も憎むことなく、自分に素直に過ごせる事が出来るのだろう。

人がそれぞれ持つ愛情。
それを全ての人がうまく表現できるとは限らない。
だが愛情に偽りはない。







ホワイト・ライズ

2004年 米
監督:ポール・マクギカン
出演:ジョシュ・ハートネット
    ダイアン・クルーガー


『WICKER PARK』という原題が印象深いこの作品。
フランス映画『アパートメント』のリメイク版であるというが、
オリジナルはまだ観ていないので、是非とも観たいと思った。

ジョシュ・ハートネット主演のラヴ・サスペンス。
主演のジョシュ・ハートネットをはじめ、ダイアン・クルーガー、ローズ・バーン、マシュー・リラードなど、
若き俳優陣のそれぞれの演技に注目。

『恋に落ちると、自分では想像しないような事をしてしまう。』

上司の娘と婚約する事になっていたジョシュ演じるマシューは、大仕事の前のバーでの会合で、
かつて愛していたが突然彼の前から姿を消した恋人リサを目撃する。
そこから彼の人生は変わってゆく。
追いかけるがたどり着けないリサ。
やっとの事で探し当てたアパートメントには確かにリサの痕跡が。
だがそこに現れたのはリサと名乗る全く別の女性だった。

混乱するマシューと、どんどんと進んでいく切なき罠。
四人の登場人物に同時進行していく偽り。
巧妙に仕掛けられた罠には、切ない恋心の空しい想いが込められていた。

マシューを演じるジョシュ・ハートネットの大切な愛にかける切実さ。
もう一人のリサを演じるローズ・バーンの、
観ていてドキドキするような巧妙な、愛への計算、切なくなるような恋心。
マシューが一心になって切ない想いでリサを探すから、
ダイアン・クルーガー演じる本物のリサの美しさが更に際立つ。
マシューの友人役のマシュー・リラードの存在感も抜群で、
それらの心の絡み合いが実に観ているものの心を切なくさせるようだ。

ローズ・バーン演じるもう一人のリサのキャラクターには、
『ルームメイト』のジェニファー・ジェイソン・リーを思わせる。
その心情があらわれた表情には同情の念すら感じてしまう。

ただこの作品はサスペンスと言えども、
危機迫る緊迫のシーンや残酷なシーンがない分、
実際に起こりえる話なのではないかとさえ思ってしまう。


女性の心は男性が考えているよりずっと繊細で計算高いところがある。
そうさせてしまうのは悲しくも人を愛するということであり、
非常に美しい気持ちからそうに発展してしまうように思える。


この作品はサントラもまた素晴らしい。
特にクライマックスに流れるコールド・プレイの『ザ・サイエンティスト』は、
印象的なシーンと重なって実に感動的。