七人の侍

1954年 日
監督:黒澤 明
出演:三船敏郎

全世界が注目し絶賛した作品がここにある。
最高傑作という栄光は何十年も、そしてこれからも色あせず輝き続ける。

登場人物、物語、展開、全てが素晴らしい。
カメラワークとその圧倒的なアクションはなんとも観ているものの目を引き付け離さない。

分かりやすいストーリー展開と、そのテンポのよさは、
長い上映時間を感じさせないほどに、華麗なのである。

七人の侍。
彼らは、野武士に悩まされ、食住を追われ危機的状況に陥ったある村を救うために召集された。
誇り高き正義感の強い人情味溢れた男達。

志村喬演じるリーダー的存在の勘兵衛。
彼はある日、村に忍び寄った盗人を撃退。
冷静なるも迅速たる判断で村人に協力を仰ぎ、
自らの頭を丸め、僧侶に扮し相手の油断を見計らって襲撃。
その華麗な行動が村人をあっといわせた。
何事にも冷静沈着、頭脳をフル回転させた敵陣の攻撃の鮮やかさ、
そして大らかな振る舞いから滲み出る優しさが印象的な侍。
後に彼が村を守る侍として雇われる。

村人の必死の訴えに勘兵衛は応じる事になり、その姿を目にし、
その強さに惹かれた裕福な育ちの、木村功演じる若者勝四郎は彼のもとに付き、
村を守る侍の要請を二人ではじめる。

稲葉義男演じる五郎兵衛。後に勘兵衛の右腕になり活躍する侍。
厳しさの真正面に時折柔らかな表情をものぞかせる。

そして長年の勘兵衛の部下である実直な忠実心を掲げる、加東大介演じる七郎次。

人情とユーモラスな面が魅力となり努力を惜しまない素直な性格の、千秋実演じる平八。

多くを語らない心の内には人間としての優しさを秘めた凄腕の侍、宮口精二演じる九蔵。

勘兵衛に惹かれついてきた山犬のように荒っぽく向こう見ずな人情家、三船敏郎演じる菊千代。

勘兵衛、五郎兵衛、七郎次、九蔵、平八、菊千代、勝四郎。
彼らが7人の侍なのだ。

彼らは侍としてのプライドと正義感を存分に掲げ、一方村人に対する厳しさと同時に優しさと思いやる心を忘れない。
それは侍同士の間にも見られることだ。
真の指導者というのはこういう者のことなのだろうと何回も思ってしまう。
気合と渇を入れる力強さ、緊張する村人の心をほぐす優しさがなんとも印象深いのだ。

この作品の中で異色の存在なのが、言わずと知れた三船敏郎演じる菊千代だ。
無鉄砲で子供のような一面も見られるが、人一倍闘争心が強く、そして人一倍情に厚いのだと思った。
何も考えてないように見えるその様と風貌だが、実は見抜く力に富んでいて頼りになるところもある。
見せ掛けだけでない強さを両面に持っている大変魅力的な侍だ。

人と人との関わりに思わず笑みをこぼし、
侍と村人達と一緒に緊張感に浸り、いざ決戦となるとハラハラと止まらない。
画面に釘付けとなり、一気に観賞してしまうほどの素晴らしさはやはりその時代背景とアクションの凄さ、
そのアクションを印象付ける多方のカメラワーク、登場人物の人物描写、人間の情の描写なのであろう。
丁寧に語られ、丁寧に描かれている。
全てにおいて素晴らしい。









16ブロック

2006年 米
監督:リチャード・ドナー
出演:ブルース・ウィリス
モス・デフ

16ブロックへの118分間
それは出会うべくして出会った二人の壮絶な時間。

ブルース・ウィリス演じる二日酔いの敏腕刑事ジャックは、
法廷への証言者の元窃盗犯のエディを護送することになる。
それが16ブロックへの118分。

予定外の出来事だが、
それは来るべくして来た運命を変える時間だった。


お調子者エディは始終しゃべりっぱなし。
一方ジャックは必要な事意外口を開かない。
まさにおしゃべりと無口といった感じ。
緊迫する時間の中でエディが話すことは、
この作品の中でも大きな意味を持っているように思える。
エディなりの気配りと優しさなのかもしれないがジャックにはそれが耳障りのように感じる。
だがそれを言わずに無視して任務に当たるように見えるが、
作品も終盤になると、また違ってくる。

何故に?
と自分でも思うほどだが、
この作品を見て目頭が熱くなることがしばしばあった。
アクション映画でうるうるときてしまったのは、
作品中のエディの気配りとクライマックス。


118分間でジャックは変わった。
「人は変われる」
エディがそう言ったように。

しかし思うのはブルース・ウイリスの渋さ。
実に渋くてクールな佇まいが印象的なのだ。

何気ない変化がなんだかとても心を動かす。

序章は全く聞いてなかったエディの話をさらっと聞いていたり、それを返したり、
終盤にはエディの人生の教訓のようなものがジャックにはしっかりと伝わっていたのである。
それは序章にエディがした質問に、
クライマックスでジャックがクールな回答を差し出したことに知ることが出来た。






17歳のカルテ

1999年 米
監督:ジェームズ・マンゴールド
出演:ウィノナ・ライダー
アンジェリーナ・ジョリー

60年代のオールディーズが切なく耳に聴こえる。
独特のレコードの温かく重みのあるメロディーには、
若い心、少女の気持ち、飾らない純粋さが溢れてる。

何故そんなに切ないのか、胸が痛いのか。
昼下がりの心地よい日差しとともに、逆効果の切ない思い。


これらの音楽がもたらす作品の印象に対する効果は絶大なものだと思った。

劇中、ウィノナ・ライダー演じる主人公スザンナの言葉、
「私が異常だったのか、つまずきだったのか、あるいは60年代のせいなのか・・・」
自分自身がわからないスザンナ。
時代に翻弄され、心を痛め、自分と向き合っていく。
全ては自分と向き合うこと。

心を病んだ少女たちの見つけ出した答えとは。

心の病で入院生活を送る事になったスザンナは、
そこで、ジョージーナ、ポリー、デイジー、リサらと出会う。
同じく心の病を抱える彼女達と接するうちに、
彼女は自分を見つめ始める。
時に傷つき、時に何かを得ながら。

若々しいウィノナの演技が、
微妙な精神的感情を良く表現していた。
主演の『リアリティ・バイツ』や『1956』を思い出させるような、
いかにも若い、といった印象を与えるから、
この作品の主演の「少女」という印象を深く位置づける。
少女の心の闇、見出す光。

一方リサを演じたアンジェリーナ・ジョリー。
症状は軽く見えるリサだが実は入院8年目。
脱走を繰り返し、院内で問題行動を起こす。
何事も悟ってみせる強さの裏側には彼女自身抱えている問題が。
それは、作品序章に、スザンナを院へ送るタクシーの運転手の、
スザンナに投げかけた言葉が物語っているように思える。

彼女はこの年のアカデミー賞で助演女優賞を受賞している。

同じく1999年、アカデミー賞主演女優賞を
『ボーイズ・ドント・クライ』で主演したヒラリー・スワンクが獲得した。
ヒラリー・スワンクの真に迫る演技がクローズアップされていて、
アンジェリーナが助演女優賞を受賞したのは知らなかった。
今までこの作品を観ていなかったからだ。

二作品とも実話を基につくられた作品であり、
二人とも、若者の複雑な微妙な心理の表現に富んでいた。

そしてこの作品でのアンジェリーナ・ジョリー。
圧巻だった。
痛々しいほどの心の叫びが強く、ではなく、静かに感じるのだ。
それは何故かと言うと、奔放さを表面に出し、強がってみせているためだ。
何に対しても少しの動揺も見せないリサの心がふと本来のものに戻った時、
それは涙を伴わずにはいられなかった。

決してオーバーな演技でなく、じわじわと表現される少女達の心が、現実味を感じさせる。
それぞれの少女が抱えている心の問題が手に取るようにわかる、という事ではなく、
作品を観ているうちに分かってくるといった感じだ。

看護師を演じたウーピー・ゴールドバーグもまた、
味のある深い役柄を自然に演じているように思えた。

全てがどうしようもない孤独、悲しみ、絶望ではなく、
少女達は自分と向き合うことで希望を見出していく。
そんな前向きさを感じる作品だった。






21g

2003年 米
監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
出演:ショーン・ペン
ナオミ・ワッツ

それでも人生は続く。
この作品の中で登場人物によって度々口にされた言葉。
この作品のテーマというべき失われる重さ。
重々と感じられる作品だった。

どうしようもなく感じるやるせなさや切なさ。
途方に暮れる感情。
言葉に尽くし難い悲しみ。
言葉少ななそれぞれの登場人物の表情や言動で、
それらを深く感じる。


心臓移植の提供者を待つ男。
愛するものを失った女。
人の命を奪ってしまった男。
彼らの運命。

彼らにとっても、誰にでもそう、
人生は続いていく。

作品全体から感じる不安要素が、どのシーンにも漂っていて、
何とも言えない複雑な気持ちになる。


そして、
ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ベニチオ・デル・トロ、
これらの三人の登場人物の表現するそれぞれの悲しみが痛いほど伝わってくる。

心臓移植を待つこと、それは誰かの命の灯火が消えるのを待つという事、
提供者によって生かされたショーン・ペン演じるポールは、
そう思っていた。
自分の命が助かるという事実の背景にはそんな現実がある。
妻との別離の訳には、
以前彼の知らない内に妻が人工中絶したいたという事実、
それでも、人工授精で子を授かりたいと願い、迅速にも行動に移し、
周りのものにオープンにしていくという彼女の身勝手さのせいであったと思う。

彼女の行動は、ポールの心にとって正反対のものであったと思う。
彼の気持ちをさらに複雑にするものであったのではないか。

本当にショーン・ペンという俳優は、素晴らしい俳優で、
作品を観るたびに圧倒されてしまう。
心理描写に優れていて、その演技に見入ってしまう。

愛する家族を失ったナオミ・ワッツ演じるクリスティーンの想像を絶する悲しみ。
彼女は二度、愛する人を失う事になる。
それでも人生は続く。
冒頭の言葉が蘇る。
娘の部屋に入りたくも、足が進まず、
開きかけたドアの隙間から見る事しか出来ないシーンや、
娘に青い靴紐を買ってやらなかったことを悔やみ泣くシーン、
一方カフェで軽食を目の前にするところ、
ドラッグを手にするところ、
目が覚め、ベッドから出るところなどの些細な仕草でさえ、
滲み出る深い悲しみを感じる。

そしてクリスティーンの家族の命を奪ってしまったベニチオ・デル・トロ演じるジャック。
無神論者の前科者だが、数々の犯罪を繰り返すうちに、厳粛なキリスト教徒になる。
だがその矢先のこの起こしてしまった事故。
前科はあるも、決して極悪人という言葉に当てはまらない人間をしっかり持っている彼。
妻と二人の子供の父親。
出所して家族のために生きようとするも、この事故により全てが変わり、
全てを投げ出してしまう。
自分の不注意によって奪ってしまった人の命。
彼が所内で、自殺未遂をはかるシーン。
首をつるが体重でパイプごと転落。
だがその反動で締め付けられ、苦しもがき、同所の囚人に助けられる。
悲しい、切ない、やるせない、それらの言葉では表現しきれないほど、
重々しい彼の後悔の念、自責の念が伝わってくる。

三人の俳優の演じたそれぞれの登場人物の心情が深く深く伝わってくる。
これ以上の苦しみ、悲しみがないと思えるほど強烈な心理描写だと思った。
三人の演技に圧倒されっぱなし。

そしてこの作品のテーマ。
21g=失われる重さ。
充分すぎるほど伝わってくる。
悲しく、苦しい、行き場のない感情が深く深く伝わる作品だと思った。